だからこそ「琴の」のラーメンも、奇をてらわない。だが確実に美味い。そのバランス感覚こそが、多くの客を惹きつけている。今野店主はこう言う。
「でも、みんなラーメン好きなんですよね。ラヲタでなくても行列に並ぶのが普通だし」
ラーメンを食べることが特別ではないのに、一般客も普通に行列に並ぶ。これは凄いことだ。
それぐらい、ラーメンが文化として根付いている。この積み重ねが、日本一の消費量を生んでいるのだろう。
ラーメンは生活の中に当たり前にある存在
2人の話を総合すると、「ラーメン英才教育」という仮説は半分正しく、半分は違う。幼少期からラーメンに囲まれる人もいれば、そうでない人もいる。しかし共通しているのは、ラーメンが生活の中にあるという事実だ。
・家族で食べる文化がある
・地域ごとの誇りがある
これらが重なり、ラーメンは山形県人の身体に自然と染み込んでいった。特別な存在でありながら、同時に日常の一部となったのだ。教育ではない。もっと自然な、空気のような文化だ。
山形では、ラーメン好きが店主になるケースも珍しくない。大類さんや今野さんのようにラヲタから転身する人もいれば、常連客が店を継ぐこともある。とにかくラーメン店主にラーメンへの愛情が深い人が多い。
その象徴が、「二代目平吉屋」と「琴の」という2つの店だ。一方はラヲタの知見を武器に新たな価値を作ろうとし、もう一方は地域に根ざした味を磨き続ける。アプローチは違えど、どちらも山形のラーメン文化そのものを体現している。
結論を言えば、明確な「教育」は存在しない。しかし、それに限りなく近い環境は確実にある。ラーメンが日常であり、ごちそうであり、文化であり、人をつなぐ存在でもある。そんな土地で育てば、ラーメンは自然と身体に染み込む。それは教育ではなく、文化だ。
そしてその文化は、「二代目平吉屋」のような新たな挑戦や、「琴の」のような地域密着の名店によって、これからも静かに、しかし確実に次の世代へと受け継がれていく。
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