実際に、父親のこうした教育方針によって小さくまとまらずに大きく育った例として、戦国の覇王・織田信長が挙げられます。
信長といえば、地道に努力するタイプではなく、生まれ持った才能で偉業を成し遂げた天才という印象が強いかもしれません。しかし、実際は父である信秀の教育による成果が、信長を創ったといえるのです。
信秀自身が他を圧する才能の持ち主であったため、幼い信長を見て、その身に宿る未完の英傑の資質に気づいていました。
当時、信秀はまだ尾張国の半分すら、完全に支配下には置けずにいましたが、息子の才能は一国にとどまる程度ではない、と見抜いていたのです。
そこで信秀は、信長を類例のない英傑にするため、何ものにもとらわれない自由な心を育む教育を施しました。
わかりやすくいえば、信秀は信長のあらゆる短所には、あえて目を向けないようにしたのです。具体的な行動として、まずは元服もしていない信長に対して城を与えました。
父親としては、自分の目の届く場所で生活させ、あれこれと指導したくなるところですが、そこを我慢して、むしろ一定の距離を取ったのです。
当然、信頼できる重臣を何人もつけたうえでの措置でしたが、信長には子どもの頃から好き勝手に行動させ、城主としての自覚を持たせました。
さらに、信長に学ばせる内容は、本人が興味を持ち「やりたい」と申し出たことを中心に据えました。これは非常に思い切った教育方針であり、容易に実践できるものではありません。
規格外の英傑にする教育
当時の教養の基本である歌学・儒学・仏教も学習し、自身は高度な教養を身につけていた信秀ですが、わが子の吉法師(信長の幼名)に対しては、自分が学んできたこれらの教育を、同様には押しつけませんでした。


















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