文化人類学は、科学であることを「諦めている」とも「積極的にやめている」とも言えます。再現可能性や客観的なエビデンスを最重視する自然科学の基準には当てはまりません。だからこそ、「データにはできないけれど、今何かつかめた気がする」という兆しを捉えられるのです。
文化人類学は、そんな「わけのわからない他者」や「わけのわからない自分」と向き合い続けるための知恵です。「わからない」という状態に耐えること──これを「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼びます。安易な答えに飛びつかず、現場のリアリティの中に身を浸し続けること。その先にこそ、まだ誰も見たことのないイノベーションの種が落ちているはずです。
文化人類学的な眼差しを持つために
ここまで、文化人類学的な調査手法をビジネスに応用するためのポイントをお伝えしてきました。もちろん、これらを読んだだけで、すぐに文化人類学者のような調査ができるようになるわけではありません。文化人類学者は、長年の訓練を経て、この「見方」を身につけています。フィールドワークを通じて、自分自身が変わっていく経験を何度も重ねています。
しかし、これらのポイントを意識するだけでも、日々の仕事の中で「見え方」が変わってくるはずです。
会議で当然のように語られている「常識」は、本当に常識なのか。私たちが「合理的」だと思っている判断は、実は文化的なバイアスに基づいていないか。目の前のデータは、どんな「文脈」の中で生まれたものなのか。
こうした問いを持ち続けること──それ自体が、文化人類学的な眼差しの第一歩になります。ビジネスにおける文化人類学的アプローチへの関心は、今や世界的な潮流となっています。
EPICと呼ばれる、ビジネスにおける文化人類学的実践をテーマにした国際会議は、年次カンファレンスの参加券が数時間で売り切れるほどの盛況ぶりとなっています。AI時代において文化人類学者が果たす役割とは何か、エスノグラフィーはどう変わっていくのか。
そうしたテーマが、世界中のビジネスパーソンの関心を集めています。
ビッグデータやAIがいくら発達しても、人間の本質を理解するためには、人間に寄り添い、人間の文脈の中で物事を捉える視点が欠かせません。本書で学んだ文化人類学の思考法と方法論が、皆さんのビジネスや日常に新しい視点をもたらすはずです。

