スピードワゴン小沢「説明なき謝罪」で復帰声明、裏にある芸能界の力学 活動再開を阻む「旧来型危機管理」の限界

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小沢の活動再開がここまで長引いたのも、松本が活動を再開するまでは自分から動き出せないという心理的かつ現実的な縛りもあったのではないか。松本はすでに活動を再開しているが、報道内容について具体的な説明や反省を公に示してはいない。

松本がそういう姿勢をとっている以上、小沢が自らの口で報道の詳細について語ることは難しいのだと思われる。そこに個人の意志だけでは動かせない力学があったことについては、同情の余地はある。

活動再開には説明責任が伴う

しかし、だからといって今回の問題に関する説明責任がなくなるわけではない。言うまでもなく、芸能活動というのは個人の力だけで成り立つものではなく、テレビ局、ラジオ局、事務所、スポンサー、興行主といった業務に関係する他者を巻き込む行為である。自分が表舞台に戻ることで、周囲の人間が否応なくその問題と向き合わざるを得ない立場に置かれることになる。

そうである以上、復帰を選んだ者には一定の説明責任が発生する。先輩への配慮という事情は理解できるとしても、それが「何も説明しなくて良い」という免罪符になるわけではない。

問題の核心は「説明なき謝罪」という様式が持つ構造的な欺瞞にある。今回の声明で小沢は「私のとった行動で不快な思いをさせてしまった」と語っているが、「私のとった行動」が具体的に何を指すのかは語られていない。

報道内容が事実無根であるならば、謝罪すべき行動そのものが存在しないことになるし、謝罪に値する行動があったというのであれば、それが何であったかを示さなければ、謝罪は謝罪として機能しない。これは謝罪の形式を借りた説明責任の放棄であると言われても仕方がない。

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