「もう1つの戦争」パキスタンとアフガニスタンの軍事衝突が中東・南アジアにもたらす意味、高まる中国の存在感

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アフガニスタンでは、21年8月にタリバーン(本稿ではアフガニスタンのタリバーンを「タリバーン」、後述するパキスタン・タリバーン運動を「TTP」と呼ぶ)が政権を掌握し、現在に至っている。パキスタンは1990年代半ばにタリバーンが創設された時から支援を行い、影響力を行使してきた。

01年末に同時多発テロを受けてアメリカが行った攻撃でタリバーンが政権を失ってからも、パキスタンは隠然と影響力を保ってきたとされる。そのタリバーンが政権に復帰したのだからパキスタンにとっては悪くない話のように見えるが、それにもかかわらず攻撃を加える事態になったのはなぜか。

悪化していたタリバーンとパキスタン関係

実は近年、パキスタンとタリバーンの関係は悪化の一途を辿っていた。パキスタンでは、25年に反政府勢力による攻撃の死者が約4000人に上り、15年以降で最悪の事態となった。その多くはイスラーム過激派組織「パキスタン・タリバーン運動(TTP)」によるものと見られている。

そのTTPに拠点を提供するなどの形で、アフガニスタンのタリバーンが支援しているというのがパキスタン政府の見立てだ。パキスタン軍は25年10月中旬にもアフガニスタン主要都市に空爆を行っており、カブールで18年から4代目の指導者としてTTPを率いてきたヌール・ワリー・メスードが殺害されたとの報道もある(TTP側は否定)。パキスタンはTTPの他、「イスラーム国ホラサン州(ISKP)」に対しても同様の非難を行っている。

加えて、インドがアフガニスタンに接近を図っていることもパキスタンが不満を強めている要因と考えられる。インドは当初パキスタンと友好関係にあったタリバーンには否定的で、アフマド・シャー・マスード将軍(01年に自爆テロで死亡)が率いる対抗勢力の北部同盟を支援してきた。タリバーン政権崩壊後は、カルザイ大統領とガニー大統領による文民政権に開発援助を提供するなどしてテコ入れもしてきた。

しかし、この数年で構図は大きく変わった。とくに25年は、1月にインドのミスリ外務次官とアフガニスタンのムッタキ外相代行がアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで会談、10月にはムッタキ外相代行がインドを訪問し、S・ジャイシャンカル外相との会談で貿易や人道支援について意見を交わすまでに至った。

インドはタリバーンを政権として承認こそしていないものの、こうしたハイレベルの会談は数年前には考えられなかった展開だ。パキスタンを孤立させたいインドと、国際空間を広げたいアフガニスタンの思惑が一致したことが背景にあると思われる。

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