即戦力育成か、人間力の涵養か? ニデック永守氏が京都先端科学大学で問われる「長期の実学」と新たな「良心」
これらの行動指針を社員に遵守・実行させることで、本人も「良心」を貫徹したと思い込んでいたようだ。確かに、この思い込みは一代で世界的企業にするには必要不可欠な要素だった。企業精神の部分だ。
松下幸之助氏、本田宗一郎氏、そして永守氏が尊敬していた稲盛和夫氏も含めて、昭和にデビューした名経営者たちは「叱りの達人」と言われた。松下氏の場合は、叱られて気絶する事業部長がいたほどだ。本田氏も「口よりも手のほうが早かった。現場ですさまじい檄を飛ばしていた」(河島喜好・ホンダ2代目社長)。
終身雇用が一般化し、まだ転職がままならない時代。クビを切られても、受け皿となる企業が少なかった。男性は「一家の大黒柱」と言われ、家族を背負い続けなくてはならない「責任」があった。ましてや、シングルマザーであろうものなら、まさに永守氏の母のように「母が寝ているところを見たことがない」(永守氏)というほど苦労に苦労を重ねていた。
令和における永守氏の“孤独”
高度経済成長時代になり「企業戦士」という言葉が誕生した。バブルの時代に当たる1989年には、「24時間戦えますか(中略)ビジネスマン ビジネスマン ジャパニーズ ビジネスマン♪」というCMソングが企業戦士の心の琴線に触れ、栄養ドリンク「リゲイン」がヒットした。
つまり、逃げ場がないジャパニーズビジネスマンは、今どきのワークライフバランスなどとは無縁で、自分の成長を実感し、働きがいを求めるだけでなく、所属する会社のため、家族を養うため、少しでも出世して豊かになるため、叱られても、叱られても、耐え抜いた。
今風にハラスメントなどとは言えない。永守氏はこの最後の時代に急成長を謳歌していた。まさに、前進あるのみだった。
ところが、令和を迎えた今、状況は一変した。カラオケで永守氏一人が軍歌を歌っているような環境になってしまった。皆、周りは聞いていない。聞いているふりをしていても、軍歌に共感できないどころか、意味がわからない若者も出てきた。
そんな人たちに「お前ら出ていけ」というと、「じゃ、お先に失礼しま~す」と言いながら、さっさと帰ってしまい、同僚と歌い直しに行こうかと誘い合い、別のカラオケ店へ行って、Jポップを歌っている。自作のラップに興じている人もいる。永守氏が置かれた環境を、こう書けばわかりやすいのではないか。





















無料会員登録はこちら
ログインはこちら