「通信簿は1が優秀」と母に嘘、壮絶ないじめにヤミ米屋修行…ニトリHD会長似鳥氏が「ニタリくん」と呼ばれた理由
そんな時でも私は笑っていました。母に教わった「処世術」を披露し続けたんですね。すると、いつも「ニタニタ」しているからと、私のあだ名は「ニタリくん」に。当時、北海道新聞で連載されていた4コマ漫画の登場人物と同じ名前でした。
続く地獄の日々。その中で見つけた活路「人とは違う道」
ニタリくんへのいじめはしばらく続きました。特にひどかったのは中学生の時です。落ち着きがなく、でもマイペースでのろのろしていて、相手を言い負かすような会話力のない私は、反抗期の同級生にとってはストレス発散にちょうどいい存在だったのでしょう。
休み時間のたびにトイレに連れていかれ、理由もないままに4、5人から殴られていました。痛みに耐えて授業に出ますが、内容はよくわかりません。正直、もう学校には行きたくない。でも家にいたら母に怒られるし、強制的に家業の手伝いにかり出されます。大げさではなく、毎日が地獄のようでした。
川へ突き落とされたこともあります。ヤミ米配達のため、自転車に米袋を積んで走っていた私を、いじめっ子たちは自転車ごと川に押し倒したのでした。お尻から落ちたから良かったものの、もし頭から落ちていたら確実に溺れて窒息していたでしょう。
家に帰って母に経緯を説明しても、返ってきたのは「米はどうした?」という言葉。私を案じるような素振りは一切なかったんですね。そして、「落ちた米袋を拾ってこい!」と命じられたのでした。
つらいことが多すぎる、いっそ死んでしまおうか。そんなふうに考えてしまうくらい思い詰めたこともありました。反抗期と思春期の真っ只中、同級生みんながモヤモヤを抱える中で、自分の「周りと少し違う」部分が一層浮き彫りとなり、うまく集団に馴染めなかった時期だったのでしょう。
この頃に父から言われた言葉が、今でも強く心に残っています。
「お前のような人間にも、生きていく方法が2つある。1つは人の3倍働くか、もう1つは人がやらないことをやるかだ」
思い返すと、ここから私は「人のやらないこと」を探していこうと決めた気がします。その動機は「怠け者で努力するのが嫌だから」なので、褒められたものではないのですが……。それでも「人とは違う自分を活かす道」を意識し始めたことは、その後の人生にプラスに働いたと思います。
ニトリを創業してからは、とにかく「人のやらないこと」を探してきました。その結果、誰もが見過ごしているところに商機を見出し、成功してきた自負があります。
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