「通信簿は1が優秀」と母に嘘、壮絶ないじめにヤミ米屋修行…ニトリHD会長似鳥氏が「ニタリくん」と呼ばれた理由

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冬場、父とともに農家の倉庫へヤミ米を取りに行った時のことです。前も後ろも見えない地吹雪の中、馬ぞりが溝に落ちてしまいました。父は小学校低学年だった私に、「決してここから離れるな。下手に動いたら、道に迷い、確実に遭難するからな」「人間、1日ぐらいは耐えられる」と言い残し、近くの民家に助けを求めに行ってしまったのです。父が戻ってくるまで、いったいどのくらい待ったのか。薄い防寒着にゴム1枚の粗悪な長靴でしたから、とにかく寒かった。凍え死んでしまいそうになった経験は忘れられません。

また別のある日、母と一緒に訪ねたヤミ米の配達先でのこと。私があまりの寒さに震えていたところ、母から頭をバチンと叩かれました。「相手先の家ではきちんと挨拶して、ニコニコしていなさい。震えている姿なんて相手が不愉快なだけだ」と。

初めて食べたリンゴは芯までかじって食べた

今では考えられない子育てかもしれませんが、母が怖いので、私は母の言う通りにしました。どんなに寒くてもニコニコ、ニコニコ。するとどうでしょう。届け先のお客様から、リンゴやミカンをもらえるようになったのです。リンゴなんて初めて食べる貴重品。あれはうれしかったなあ。芯までかじって食べました。

以来、私は一歩家を出たら、とにかくニコニコするようになりました。これは「できない子」の筆頭だった私に対して、母が教えてくれた「処世術」だったのかもしれません。

ヤミ米の配達をしている私の姿は同級生にも見られています。通学路では長い竹ざおでつつかれて、「ヤミ屋、ヤミ屋」とののしられたものです。体も小さかった私は、まさにいじめられっ子でした。貧乏一家だった私の、つぎはぎだらけのズボンのお尻は「的」のように見えるため、いじめっ子たちがボールを投げてきます。逃げたら逃げたで、捕まえられてはぼこぼこにされるばかり。

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