「通信簿は1が優秀」と母に嘘、壮絶ないじめにヤミ米屋修行…ニトリHD会長似鳥氏が「ニタリくん」と呼ばれた理由
忘れ物の多さも半端ではなかったですね。教科書、ノート、筆箱、上履き、時にはカバン丸ごと……。なんでもかんでも忘れて登下校していました。学校では先生に叱られ、家では母に怒鳴られる。この繰り返しでした。
今では、それらには脳の特性が影響していたのかもしれないなと思えますが、当時は「知恵遅れ」と言われるだけ。周囲からは責められ、「私はダメな子なんだ」と自己否定を重ねるうちに、あっという間にコンプレックスの塊になっていました。
とにかく、めちゃくちゃな小学生でした。
後述しますが、家業の手伝いも忙しく、ちゃんと勉強した覚えがありません。そもそも先生の話に集中できないから、授業の内容がよくわからない。名前の漢字を書けないほどなので、板書を写すのも大の苦手。基礎が抜けているから、学年が上がれば上がるほど、ますますついていけなくなっていきました。
通信簿も5段階の1か2ばかり。でも私は大胆にも、母に「1が一番良くて、5が最低」とウソをついていたんですね。何も知らない母はご近所さんに「うちの子は1とか2ばっかりで優秀なんだ」と自慢していました。おばちゃんたちはやさしかったから、「(ウソがわかると昭雄ちゃん、また叩かれるから……)」と黙って話を合わせてくれていたようです。
それでもずっと騙せるわけもなく、小4で転校した後、ついにウソが発覚しました。手ひどく叱られ、ぶっ叩かれたのを覚えています。それでも「勉強しろ」と言われたところで、理解できないものは理解できないままでした。
つらかった家の手伝いと「ニタリくん」
小学校から帰ると、両親がやっていたヤミ米屋の仕事の手伝いが待っていました。ヤミ米屋というのは、食糧管理法に違反しながら米を取引する商いのこと。戦後の食糧難が続く中、農家が収穫した米を政府が買い取り、国民に配給する制度がありました。しかし、現実には配給の米だけでは足りず、都市部に暮らす人々は法を犯して農村へ米を買いに行きます。この時違法に取引された米が「ヤミ米」で、それを商いにしていたのがヤミ米屋、というわけです。
この手伝いが、とにかくきつかった。





















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