「この子は本を読むか勉強ばかりで、友達と遊ぶことには興味がないのかなって家族に心配されたくらいでした」
小学校から優秀な成績を修め、ソ連崩壊とウズベキスタン独立の混乱を経験しながら、飛び級で13歳のときに高校へ。学校には日本語を学ぶクラブのようなものがあったのだが、そこをたまたま覗いたことがすべての始まりだった。
「黒板に書かれていた文字がめちゃくちゃ気になったんです。なんて美しいんだろうって」
ひらがなだった。
「とくに曲線、丸みですよね。『あ』とか『の』とか『ゆ』とか。それに『ぱ』『ぴ』のように半濁点(゜)がついていたり。ひらがながひとつの〝美〟に見えたんです」
そこからは日本語にのめりこんだ。漢字の難解さもシンプルなひらがなとのギャップで面白く感じ、どんどん吸収していく。
そしてなんと、14歳にしてタシケント国立東洋学大学に入学した。飛び級にもほどがあるが、ウズベキスタンでは成績次第で認められるのだという。志望の理由は中央アジアにおける日本語教育の最高峰だったから。もちろん日本語学科を選択した。
さらに18歳で大学を卒業すると大学院に進み、こちらも20歳で修了。その後は日本語通訳にしてガイドとなった。日本人観光客を案内する日々を送りながら「将来は自分で旅行会社を作って日本人の受け入れをしよう」と思っていたのだが、通訳の仕事を通して日本人の夫と出会う。結婚を機に来日したのは21歳のときだった。
日本に愛を持った外国人に来てほしい
日本に来てからは苦労の連続だった。「日本の大学を出ていない」ことを理由に就職活動は53社に断られた。日本の暮らしに慣れた頃、夫が海外駐在中に引っ越しをすることになり、ひとりで家を探したが、今度は「主婦」がネックとなった。
「主婦って無職ですよね、って言われたんです。だから部屋は貸せないと。でも主婦っていろいろな仕事をこなしているし、無職じゃない。大切な仕事ですよ」
その後ワイン輸入の会社を立ち上げたことを機にワインバーを始めようとしたら、次は「女性」が問題になった。「外国籍」の「女性」がバーを開くという話から、良からぬ商売をするのではと勘繰られ「それなら夫が保証人に」と申し出たら、偽装結婚を疑われた。





















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