日本でも人気高まる韓国の詩人・尹東柱、訳詩集にくすぶる「4文字」の誤訳論争

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問題となった点はいくつかあったが、最も論議となったのは詩の6行目だった。この詩の最も重要な部分でもあるが、原文では「모든 죽어가는 것을 사랑해야지」(モードゥン・チュゴガニンゴスル・サランヘヤジ)となっている。「죽어가는」を文字通りに訳せば「死にゆくもの」になる。そこを「生きとし生けるもの」としたのは意訳しすぎている、「誤訳だ」との厳しい批判もあった。ハングルでわずか4文字の解釈がさらに大きな波紋を呼び起こすことになった。

すべてを愛したのか、死にゆくものを愛したのか

韓国の有力紙『朝鮮日報』に伊吹訳への批判が掲載されたのを皮切りに、日本国内からも訳文への疑問が提起される事態となった。同志社大学には「訳が不適切ではないか」との指摘もあったという。

伊吹氏はこういった批判に対し雑誌などで、問題の下りについて「命あるすべてのものへの愛の表白であり、誤訳ではない」などと反論した。

この説明に納得せず、批判したのは早稲田大学教授の大村益夫(近代朝鮮文学)と、作家の徐京植(ソ・キョンシク)だった。大村教授は、こう指摘し、訳文の訂正を求めた。

〈序詩を書いた1941年11月20日といえば太平洋戦争が始まる直前で、日本軍国主義のため多くの朝鮮人が死んでいき、人ばかりでなく、ことばも、民族服も、生活風習も、名前も、民族文化のすべてが「死にゆく」時代だった。そうした「死にゆくもの」を「愛さねば」と叫んだ彼は、死に追いやるものに対しては激しい憎しみがあったはずである〉(「尹東柱をめぐる四つのこと」『星うたう詩人』三五館所収)

訳文に加え、伊吹の姿勢を問題視したのは作家の徐京植だった。

〈尹東柱が禁じられた朝鮮語で詩を書いていた当時の状況をリアルに想像する感性が伊吹にあれば、いや、自分の想像がとうてい現実に及ばないのではないかという謙虚さがありさえすれば、その詩が「実存凝視の愛の表白」であり、「軍国主義の日本人に対する憎しみなどかかわりがない」などと自信満々に主張することはできなかったであろう〉(母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える「植民地主義の暴力─『ことばの檻』から」高文研所収)

そもそも詩の読み方に正解はない。さまざまな解釈ができることこそ詩の魅力でもある。当然、翻訳も一通りではありえないが、日本と韓国という歴史的な関係が深い影を落とすこととなった。

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