プーチンと歩調を合わせるロシア正教会の真意 侵攻を「聖戦」と呼び、西側を「悪魔主義」と断じるルーツはどこに?
さらに、ロシア正教会はウクライナとの一体性を宗教的な概念で補強する。彼らが“聖ルーシ”と呼ぶその世界は、正教信仰、ロシア語、そして歴史的記憶を共有する有機的共同体である。現在のロシアにおいて政権とロシア正教会は、多くの点で利害関係を共有しているのである。
ウクライナとロシア、共通の信仰?
ところで、“聖ルーシ”の概念を理解するためには、キリスト教東方正教会の地方教会制について知っておかなくてはならない。
ローマ帝国の東西分裂以降、ビザンツ(東ローマ)の帝都コンスタンティノープル(現トルコ領イスタンブール)を中心に発展したキリスト教は、西ローマとは異なる教義、教会慣例、そして礼拝様式を発展させた。教会制度で、東方正教会はそれぞれ独立した領域とヒエラルキーをもつ「地方教会」と呼ばれるいくつかの組織から構成され、ローマ教皇庁に相当する統括組織をもたない。
988年、ドニプロ川水系を治めていた「ルーシ」と呼ばれる部族連合国家が、ビザンツ帝国から東方正教を受け入れた(これを「ルーシ受洗」と呼ぶ)。しかし、その後のルーシは分裂を繰り返し、それぞれの歴史的経験を経て、独自の文化、言語、生活様式を備えたロシア、ウクライナ、ベラルーシという三つのネーションに鋳直された。
なかでもモスクワを中心として統一国家を形成して成立したロシアは、オスマン帝国に敗北して権威を喪失したコンスタンティノープルに代わって、正教世界の盟主を自認するまでになった。
17世紀、ロシア帝国の支配が現在のウクライナ、ベラルーシにまで及んだとき、ロシアはこれを“聖ルーシ”の回復であるとして言祝(ことほ)いだ。ただし、現在のウクライナはもっぱら、この出来事を「侵略」の歴史の始まりとして記憶している。
ロシア正教会はロシア帝国とともにその管轄領域を拡大していった。1917年、ロシア帝国は崩壊し、その後継国家であったソヴィエト連邦も1991年に解体したが、ロシア正教会は分裂を免れ、その領域を維持し続けたのである。
ソ連解体に伴って、正教徒が多いウクライナやベラルーシでは、「自治教会」の地位が認められたが、その指導層はみな同じ神学校で机を並べた“同胞”であった。つまり、ロシア、ウクライナ、ベラルーシは988年のルーシ受洗以来、一体の“聖ルーシ”を成すという「歴史的記憶」を彼らの多くは共有してきたのである。
それだけではない。彼らは「教会スラヴ語」というロシア語でもウクライナ語でもない言葉で書かれた祈禱書を読み、ユリウス暦という暦を使う。世俗の社会や国家がいかに変化しても、教会の扉を開ければ、そこには“聖ルーシ”という不変/普遍の世界が残されていたのである。
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