「空室4割超」でガラガラだった団地が《人気物件に大変身》したワケ 東京まで約1時間、家賃3万〜5万の"ちょうどよさ"

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住棟は数個ずつ固まって点在し、どれも東西方向に並んでいる。

ふと見覚えのある風景が目にとまった。ドラマ『ブラッシュアップライフ』(2023年、日本テレビ系)で、主人公の麻美が幼少期に暮らしていた団地ではないか。ぐっと興味が深まった。

あの名ドラマで映っていた団地(写真:筆者撮影)

さらに遠くに見える住棟を目指して歩く。すべて回るには想像以上に時間がかかった。

里山に立つ住棟。写真を撮っている場所も団地の一部(写真:筆者撮影)

里山を切り開いて開発された住宅地

二宮団地の始まりは昭和30年代後半にさかのぼる。高度経済成長期の神奈川県は、人口が急増し、住宅不足が大きな課題となっていた。

当時、良質な住宅を供給する役割を担っていた神奈川県住宅供給公社(以下、公社)は、郊外に大型のニュータウン開発を相次いで進めた。その1つとして計画されたのが、二宮町北部を造成する開発だった。それが二宮団地である。

昭和30年代後半、造成工事を行ったころの様子(写真:神奈川県住宅供給公社 提供)

開発面積は71.9ha。東京ドーム約15個分の広さの土地に、1961年、公社の賃貸住宅(856戸)と分譲戸建住宅(1230戸)、県営住宅(228戸)が混在する計2314戸の住宅地が完成した。

住棟が点在する配置は、当時流行していたのだろうか。神奈川県住宅供給公社の賃貸事業部運営企画課副課長、金子久徳さんに聞いてみた。

「珍しいと思いますよ。二宮団地は山を切り拓いて造成した後、いっぺんに建てずに1~3号棟、4〜7号棟と、数棟ごとに点在して順番に建設しました。そんな住棟に混ざり合うように戸建住宅が建てられています。公社ではこういった建て方はほかにはありません」(金子さん)

昭和30年代後半の二宮団地。住棟はそろった状態(写真:神奈川県住宅供給公社 提供)
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