「3セク鉄道」MBA取得者が経営したらどうなった? 福井県の「えちぜん鉄道」元専務が説く日本の現実
――そうした中で、なぜ京福電鉄は「えちぜん鉄道」として存続する道を選ぶことができたのでしょうか。
理由は非常にシンプルで、地域社会が鉄道を必要としていることに気づいたからです。
鉄道には自動車やバスでは代替できない機能が、実は数多くあります。高校生の通学、高齢者の通院、ピーク時の輸送力、そして「自分が運転できないときの移動手段」としての存在です。
さらに重要なのは、鉄道は「自分のため」だけでなく、「家族とその将来の問題」に対応するインフラだという点です。高校生の通学だけでなく、中学生の進学、親の買い物や通院。こうした将来の生活を考えたとき、鉄道があるかどうかは大きな意味を持ちます。
当時、沿線自治体の意見は割れ、県も、安全対策や設備更新、運営費を含めると10年で100億円を超えると試算される負担に、後ろ向きでした。しかし、行政の意見以上に大きかったのは、市民一人ひとりの「自分の意見」でした。
「事故を起こした会社はもう福井にはいらない。でも、鉄道は必要だ」。そう書いた手紙をくれたのは、高校生の母親でした。鉄道会社の経営と、鉄道が地域社会にもたらす役割は別物だということを、地域の人たちは直感的に理解したのです。
スーパーのPOSシステムを応用
――伊東さんはアメリカでMBAを取得されています。経営学の知見は、地方鉄道でどのように生かされたのでしょうか。
私自身というより、えちぜん鉄道の基礎を築いた2代目社長、故・見奈美徹さんの存在が大きいです。福井で最も歴史のある繊維企業の常務取締役の立場から、事故を起こして2年以上も運休していた路線を復活させようとしていたえちぜん鉄道の経営者へ、火中の栗を拾うような形で新設の第3セクターの立ち上げに奔走しました。彼は、株主である自治体や地域企業、利用者といった最も重要なステークホルダーが、対立するのではなく、利害が一致するポイントを見抜いて経営資源を配分しました。
コスト削減は当然行いましたが、安全性を最上位に置き、安全とサービス向上のためには積極的に投資する。その象徴が、後に注目されるようになった「アテンダント」の存在です。鉄道に不慣れな人や、高齢者、小さな子どもが安心して乗れるようにという発想から生まれたものでした。
また、定量・定性の両面で情報を徹底的に重視しました。駅やアテンダントには毎日日報を書いてもらい、それを現場の上司だけでなく、部長、取締役まで全員が目を通す。対応すべきものは即応する体制を作りました。
同時に、スーパーのPOSシステムを応用した独自の発券システムを構築し、日々の売り上げの詳細、乗車人数の月間や年間の集計、前年比較などをODベースで随時把握できる仕組みを作りました。
売り上げを作る、お客様の声を吸い上げるのは駅であるという現場起点のマーケティングの考え方をとり、安易な駅の無人化によるコスト削減策は取りませんでした。また、社内教育、人材育成にも力を入れ、企業理念を社員全員が心から理解するように非常に力を注ぎました。




















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