神戸地下鉄北神線「異例ずくめ」な路線誕生の背景 駅は「日本一高く」なったが運賃は大幅に下がった
60〜70年代の北神地区は人口増加が続いていた。神戸市北区には花山台、唐櫃(からと)台、有野台といった団地・ニュータウンが相次いで開発された。加えて神戸市の北には三田市、西には三木市や小野市と広い範囲が三宮を中心とした神戸市都心部への通勤圏になっていた。
当時は神戸電鉄の三田線、粟生線で鈴蘭台(神戸市北区)を経由して新開地(神戸市兵庫区)に到着するルートを多く利用していた。神戸電鉄は三田線の一部を複線化したり、三田市内で公園都市線を建設したりと乗客の増加に対応してきた。

「北神急行電鉄」設立の経緯
それでも増え続ける乗客に対応するため、北摂・北神地区と神戸・三宮を結ぶバイパス新線を建設するのを正式に検討し始めたのが77年。兵庫県と神戸市は「北摂・北神地域鉄軌道委員会」を設置した。
委員会で検討した結果、北神地域の人口増加に対応したうえで、神戸電鉄の混雑を緩和する新たな鉄道会社「北神急行電鉄」が79年に設立された。神戸電鉄と阪急電鉄が各33%、その他の民間会社が34%を出資。神戸市など自治体は出資せず、純粋な民間会社になった。
神戸市営地下鉄の新神戸と神戸電鉄の谷上を結ぶ約7.5kmの鉄道事業免許を受けて、着工したのは82年だ。建設は日本鉄道建設公団による民鉄線工事方式を採用。新神戸から4kmのトンネル部を同公団が建設し、その他の部分を北神急行電鉄が施工。総事業費は約700億円になった。





















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