「隠し持っていた出刃包丁で右腹を…」朝ドラで話題"明治の欧米化"やりすぎて殺された大臣とは

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西欧化を進める明治政府の方針に、ひと際協力的だったのが、初代文部大臣の森有礼(ありのり)である。

イギリス留学経験があり、外交官も務めた森は、かなり進歩的な考えの持ち主だった。

日本で初めて男女の平等と夫婦の対等を主張したのも、夫婦同権などの契約書を交わす西洋式の結婚式を挙行したのも、森である。

ちょんまげを切る「散髪」に比べて、士族からの反感が必至の「脱刀」のほうが、ハードルが高かったことはすでに書いた(過去記事「ラフカディオ・ハーンが不思議でならなかった日本の欧米化。「ばけばけ」散髪よりもハードルが高かった武士の「脱刀」」参照)。

しかし、森は気にすることなく、明治元年の時点で、一般士族が刀を持つこと自体を禁止しようと提案。それどころか、森は日本語を廃止して、簡易英語を使うことまで提案したというから、どう考えてもやりすぎである。

やや思考が極端すぎるものの、近代化を目指す明治政府にとって、森は歓迎すべき人材だったに違いない。森は、学制改革を実施して、福澤諭吉や新島襄らとともに「明治六大教育家」の一人とされている。

しかし、急速な西欧化に戸惑いや反発も生まれるなかで、森は格好のターゲットでもあった。

「隠し持っていた出刃包丁で右腹を深く刺した」

明治22(1889)年2月11日、大日本帝国憲法が明治天皇から黒田清隆首相に手渡された、その日に悲劇は起きた。

朝の8時頃、森が式典に参列するため、礼服を着て準備をしていると、自宅に「西野文太郎」と名乗る若者が訪ねてきた。西野は森の秘書とこんな会話を交わしている。

「実は、本日、森大臣の命を狙う輩がいるとの情報が入りました。事が事だけに、詳細は大臣のお耳に直接入れたいのです」

ちょうどそのとき、礼服を着た森が階段から下りてきた。それを見た西野は、森に飛びついて、隠し持っていた出刃包丁で森の右腹を深く刺した。

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