Instagramが若者に与えた "格差"→「SNSを利用して稼ぐインフルエンサー」と「劣等感を煽られる大衆」に二極化する実態
私の講義を履修していた学生の中に、芸能活動に従事する者がいた。彼女によれば、このソーシャルメディアの時代は「残酷」というわずか2文字で説明できるのだという。きわだった個性も表現力も宣伝力もない「普通」の若者たちが、幼少期から訳も分からずソーシャルという場に引きずりこまれ、自分の知らないうちに、自分自身という存在が数値なるものによって厳然と評価されていくこの時代は、残酷そのものというのだ。
個人が常に数値化され、その数値が人生に影響を与える時代―そうした時代の到来をいかに評価すべきか。彼女のいう通り残酷と批評すべきか。私はあえてここでは言及しない。
私たちは見たいものしか見えないのだ
2011年5月、米国の著作家イーライ・パリサ(Eli Pariser, 1980–)が The Filter Bubbleという書籍を出版した。ここから、フィルターバブル(filter bubble)という言葉が社会的に認知されていく。
検索エンジンやソーシャルメディアは、ユーザの検索履歴/趣味/居住地などをかき集める。そして、アルゴリズムを用いて、ユーザごとに最適化された情報を提供していく。それだけ情報がフィルタリングされて選別されていくのだ。ユーザは、必然的に、同じ種類の情報ばかりを受け取っていくようになる。あなただけの情報の世界から抜けられなくなる。それがフィルターバブルだ。
この場合のバブルとは、泡の膜によって外界から隔離された空間のことだ。その内部では、自分にとって心地よい情報だけが集まり、見たいものや知りたいものだけであふれかえる。もちろん、そのあなただけのバブルの世界が、誰の手によって、いかなるアルゴリズムで作られているか、あなたは見ることも知ることもできない。
フィルターバブルと似たものとして、エコーチェンバー(echo chamber)がある。日本語では反響室と訳される。これは、周りが自分と似たような視点や意見で溢れかえっており、自分自身の視点や意見がエコーのように返ってくるという比喩である。一見して、フィルターバブルと似たような意味だ。
ただし、フィルターバブルは、アルゴリズムによって機械的に形成される。一方、エコーチェンバーは、人間や企業によって人為的に形成される。言い換えれば、フィルターバブルとは技術がもたらすものであり、エコーチェンバーとは社会がもたらすものである。




















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