「豊臣兄弟!」の主役・豊臣秀長の"思慮深さ" 冷酷な兄の隣で生き残った関係性の深層

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ところが小牧・長久手の戦いの後、徳川家康との関係改善が必要になると、朝日姫は突如として戦略材料となりました。彼女は夫と無理やり離縁させられ、家康の正妻となるべく嫁がされます。自分にとって利用価値が生まれた瞬間に初めて、妹である彼女の存在が秀吉の視野に入ったと考えるべきでしょう。

秀吉は、役に立つ家族は徹底的に利用するが、そうでない場合は容赦なく切り捨てる。時に弟や妹の命ですら奪うこともあった。夢や理想ではなく、徹底した現実主義の人間だったのです。

でも、考えてみればそれも当たり前です。繰り返しになりますが、そもそも彼は武家の出身ではなく、「家を継ぎ、子孫へと伝える」という感覚を持たなかった。祖先を敬い、家の存続を第一とする武士の発想とはまったく異なる思考で動いていたのです。

秀吉を朝鮮出兵に走らせた身勝手さ

その意味では、晩年の秀吉が朝鮮出兵という無謀な策に走ったことも、子や家の将来を考えるのではなく、「自分さえよければいい」という発想が根底にあったからだと思えば理解できます。

普通の武士とは違って、家に縛られなかったからこそ、秀吉はあのような異端の行動をとり得たのだと私は考えています。

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