企業と地域の継続的交流が、双方の課題解決に 人材育成や関係構築に観光を生かす

矢ケ崎 紀子
やがさき・のりこ/九州大学大学院法学府政治学専攻修士課程修了。住友銀行、日本総合研究所総合研究部門上席主任研究員、国土交通省観光庁参事官(観光経済担当)(官民人事交流)、首都大学東京(現・東京都立大学)都市環境学部特任准教授、東洋大学国際観光学部教授を経て、2019年4月から現職。国土交通省交通政策審議会委員(13年3月〜23年3月)、国土交通省交通政策審議会観光分科会長(19年4月〜23年3月)などを歴任。専門分野:観光政策。著作に『インバウンド観光入門』(晃洋書房)ほか
通常と異なる経験を得る観光分野が人材育成に寄与
――日本の観光分野の特徴は。
国際的な定義として、旅行の目的は「観光・レジャー」「親族・知人訪問」「ビジネス」の3つに分けられます。国内旅行について見てみると、旅行目的が多様な英国では、親族・知人訪問の割合が比較的高いのに対し、日本は観光・レジャーの割合が高くなっています。親族・知人訪問は、大切な人に会いに行く旅であり、定期的に発生しやすく、また、災害等の後に最も早くに戻ってくる旅とされています。余暇に行く観光・レジャーの旅とは異なる動機を持っていますので、今後はここのマーケットの開拓をもっと進めるべきと思っています。
――近年はワーケーションなども注目されています。
欧州では、ビジネス出張に休暇をくっつけて、出張先の地域を楽しむことは珍しくありません。いわゆる、ブリージャー(ビジネスとレジャーを組み合わせた造語)ですね。日本でもワーケーションのように仕事に観光を融合することで、日常とは異なる視点や人間関係を得たり、ゆったり休むリズムを経験したりすることは、個々の従業員に成長の機会を提供することになると思います。心身の健康増進にも寄与しますし、ご家族にもよい経験になります。企業にとって先行きが不確実な時代を戦っていくためには「人」が最も重要ですから、非常に意義があるといえます。
繰り返し訪れる旅が良好な関係性の構築を促進
――観光の要素をうまく仕事に生かすには。
日本人の年間の観光宿泊旅行は平均2回程度ですから、同じ地域をリピートするというよりは、毎回新しい所に行きがちです。しかし、関心を持った場所を繰り返し訪れることで、その地域やそこに住む人と良好な関係性を築けるような旅が、企業にとってさまざまなメリットがあると思います。すなわち、大切な人に会いに行く旅ですね。受け入れる地域にとっても、何度も来てくれる訪問者こそ、信頼することができ、地域の悩み事や課題まで話せる相手になると思います。
――先生が有識者会議の座長を務められている、観光庁の「第2のふるさとづくりプロジェクト」にも通じるものがあります。
「何度も地域に通う旅、帰る旅」という新たな旅のスタイルを普及・定着させ、地域の活性化につなげて交流人口や関係人口の増加を目指す点で通じるものがありますね。このプロジェクトは企業版もスタートしていて、地域に訪れる企業だけでなく、取り組みを運営する地域や地元の企業にとってもさまざまな効果が期待されています。
――どんな効果でしょう。
訪れる企業の従業員にとっていちばん大きいのはエンゲージメントの向上で、「こんな面白い仕事ができるのか」「こんなに魅力的な人たちと触れ合えるのか」といった経験が仕事への意欲や企業への所属意識を高めます。地元企業にとっても、他地域から訪れる企業との接点ができて刺激を受けたり、これまで交流のなかった地元の異なる業種の企業とプロジェクトを一緒に進めるなどの出合いもあり、地域内に新たなネットワークが広がって自社の財産になるでしょう。
地域貢献に役割を見つけ大きく成長する従業員も
――モチベーションも期待できます。
それもありますね。一過性の旅行者ではなく地域の一員として迎えられるわけですから、地域に貢献することがモチベーションになります。そして、今後とも伸びが期待されている旅行マーケットを活用するのですから、工夫次第では、本業へのいいフィードバックや新たなビジネス創出につながる可能性も持っています。
――従業員が得るものも多彩です。
訪れる企業の従業員にとっても、これまでにない経験や交流によって自分の可能性を発見したり、今までリーダーシップを取る立場になかった人が地域での活動において主導的な立場を担って、エンパワーメントにつながることもあるでしょう。また、人によっては何度も通うことによって二拠点居住のようなレベルに上がっていって、ゆくゆくは移住して地域に貢献するという新たな道も見えてきます。
観光は人や地域を元気にする手段。上手に活用し人材育成を
――改めて、人を育てるという視点で観光についてお聞かせください。
そもそも旅行には未知のものを楽しく理解するという教育効果があります。例えば、世界的にビジネスで成功している富裕層は非常に多く旅をします。それは、過去の成功体験にとらわれていることはリスクであり、そうした自分の中の凝り固まったものの見方や考えから自由になるため、日常から離れて旅をするのです。とくに自然の中に身を置くと自分の存在の小ささも感じ、謙虚さが生まれて本来の自分に立ち返ることができます。異文化の世界から多様な視点を学ぶこともできます。ビジネスで勝ち続けていくために旅を活用している人々がいるのです。そうした旅が日本でも増えてくればいいですね。
――企業側の人間が意識を変えることも大事ですね。
企業が持っているさまざまな経営資源を旅と組み合わせることで、今までにないユニークな活動ができ、そこにこれからの自社を担う中堅や若手を投入することで成長の契機となり、旅から戻ってからさらに活躍することができます。ですので旅を活用しないのはもったいないと思います。世界では旅行は人や地域を元気にするための手段だという考え方になっており、日本の企業の皆さんにも旅行の性質や特徴をよく知ったうえで、上手に活用していただきたいと思います。