【蔦屋重三郎×歌麿×写楽】謎の浮世絵師・東洲斎写楽デビューの裏にあった奇抜な戦略!歌麿と決別後、蔦重が重用した"活動期間10カ月の天才"
その手法は、江戸の人々の目を惹きつけることに成功したようです。そうしたことを考えた時、写楽の絵が、多くの役者絵が刊行される正月や11月に刊行されずに、かえって良かったのではと筆者は感じてしまいます。
場合によっては、多くの役者絵のなかに埋れてしまう可能性も皆無ではないからです(もちろん、正月や11月に刊行されても、写楽の役者絵は光ったでしょうが)。
例えば、大河ドラマ関連本は、その大河ドラマが放送される前年の11月や12月に多く出版されます(ドラマの放送は新年1月から)。
よって、それら関連本に埋れてしまうのを避けるため、あえて、前年5月や夏頃に刊行する「戦略」もあると思うのです。写楽の役者絵が、5月に刊行されたということから、そんなことを考えてしまいました。
強烈なインパクトを与えた「東洲斎写楽」の大首絵
閑話休題。寛政6年5月に刊行された写楽の役者絵には「東洲斎写楽画」との落款(署名)がありました。
江戸の人々は、そのような浮世絵師の名前は聞いたことはありませんでした。そして、その役者絵を見ると、特徴的で、人々に強烈な印象を残します。
例えば、誰でも1度はどこかで目にしたことがあるであろう「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」。あごを突き出し、下から睨みあげるような眼差しは、1度見たら、なかなか忘れられないものではないでしょうか。

寛政6年5月5日から、江戸の河原崎座で上演された「恋女房染分手綱」に取材したのが、この作品です。
「江戸兵衛」は、四条河原において、鷲塚八平次に頼まれ、市川男女蔵が演じる「奴一平」を襲い、公金を奪う悪役でした。「無名」の浮世絵師が描いた作品に、江戸の人々は目を見張ったのではないでしょうか。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
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