その後の集団の反応は興味深いものであった。強固な信念や献身を示していたメンバーの多くは、さらにその信念や献身が強化され、洪水が起こらなかったことについてさまざまな正当化を試みた。
片や、それほど入れ込んでいなかったメンバーは、信仰を維持することが困難になり、何人かが集団を脱退したという。
この「予言の失敗による認知的不協和(の解消)」のメカニズムについては、同書の解説で詳しく注釈されている。認知要素A=「自分を含む集団が予言を含む教えを確信しているという信念」と、認知要素B=「その予言が完全に外れ、客観的に否定することができないという事実」に関するものが同居しており、どちらも明確に否定することが困難な場合、新たな認知(考え方)を採用することで不協和を解消しようとするのだ。
都合の悪い現実に目を背け、「別の現実」を創造する
とはいえ、それを単独で成し遂げるにはあまりにも心許ない。そのため、「不協和をより低減できる方法は、同じ信念を抱く人をさらに見出し、自己の信念と協和的な要素をより多く得ること」になる。
仲間たちとのコミュニケーションを通じてその信念を再活性化するのである。予言の失敗の合理的な理由を探し求め、都合の悪くなった現実を見ないようにして、「別の現実」を創造するというわけだ。
わかりやすいところでは、「予言の繰り延べ」(運命の日を先延ばしにする)だが、予言が何らかの形で成就していた痕跡を発見するという「予言の拡大解釈」(それとは認識できないものとして達成されたと捉える)による「別の現実」もありうる。
また、強く信じていない人々の場合であっても、持続していた高揚感が失われることで、失望感などから気分の落ち込みなど、精神的なダメージを受けるかもしれない。
筆者は前回、歴史家のレベッカ・ソルニットが「ほとんどの宗教が信者たちを誰もが直面するのを恐れているものに向き合わせる」「宗教は災難への準備――日々の災難をただ生き延びるだけでなく、それを落ち着いて行い、冷静さと利他主義でもって対処させる装置――と見なすことができる」という指摘を引用し、「災害による自己変革」が予言ブームの背景にあると述べた(関連記事:「7月に日本で大災害」"予言"が嘘とも言い切れぬ訳)。
だが、もう少し見方を変えると、日本の場合、この「災害による自己変革」は、どちらかといえば「災害による自己肯定」なのではないかと思えてくる。
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