2000年に政権の座についてプーチンは、オリガルヒから財産を奪い返したことで人気を博し、ロシアの「終身君主」としての地位を得た。その政権に終わりはなく、その隠退は、死かクーデターによる失墜しかない。
これはなるほど、独裁かもしれない。側近をあらゆる部署に配置し、揺るぎない権力を維持しているプーチノクラシーは、政治によって経済を支配している独裁体制ともいえる。その意味で、何事にも非情で、慈悲のかけらもないというイメージがある。
一方で、目立たぬ存在からいつのまにか大統領に上り詰めた、したたかさと計算高さもある。むやみやたらと権力願望を見せず、搦でゆっくりと権力を仕留める計略家の側面がある。
悲しきピエロのゼレンスキー
ひるがえって、ゼレンスキーはどういう人物であろうか。3年前の時点では、卑劣なロシアと戦う英雄的人物、民主主義を守る守護神として持てはやされた。
だが、NATO(北大西洋条約機構)の武器援助などによっても戦況は改善せず、長引く戦争、領土の喪失、戦死者の増大、財政危機などによって、戦勝ムードは一気に吹き飛び、敗北寸前の状態のなかで、今では悲しきピエロの役割を演じているともいえる。
しかし、にもかかわらず、ねばり続けるゼレンスキーとは何者か。降伏しないウクライナは彼を誇るべきなのか、それとも怒るべきなのか。
「同じ穴の狢(むじな)」という言葉がある。ウクライナはソ連に組み込まれた地域であり、ソ連の一共和国であった。その意味では社会主義崩壊以後、ロシアと同じ混乱を経たといえる。ウクライナ独立後、共産党支配体制の崩壊後のカオスの中で生まれたアナーキーな資本主義体制であった。
ロシアと同様、国有財産を私物化したオリガルヒの登場である。ウクライナのベレゾフスキーともいえるコロモイスキーは、ゼレンスキーを表舞台、大統領にまで引き上げた人物である。ポロシェンコによって収奪された銀行をとりもどすべくゼレンスキーを支持したのである。
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