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京王線「グリーン車」からライナーまで名車の軌跡 実は全国でも超レアな「軌間」、知られざる廃線も

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最後に、京王の「消えた路線」について触れてみたい。多摩御陵(武蔵陵墓地)参拝鉄道として誕生した「御陵線」である。

京王御陵線は、大正天皇が埋葬された多摩御陵への参拝者の輸送手段として昭和初期の1931年3月に北野―多摩御陵前間の6.3kmが開業した。その時点ですでに御陵参拝客のピークは過ぎており、戦時中に不要不急線として1945年1月に休止となってそのまま再開されることはなかった。同年8月2日の八王子空襲では多摩御陵前駅舎が焼失した。

かつて存在した京王御陵線の終点、多摩御陵前駅の駅舎(画像:関田克孝氏提供)

その存在や記憶は次第に薄れつつあったが、近年NHKの番組「ブラタモリ」で廃線跡が紹介されて話題となった。筆者も数回にわたり訪れている。痕跡をたどってみよう。

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今も残る「御陵線」の跡

現在の高尾線の北野―京王片倉―山田間は、かつての御陵線のルートをたどっている。京王片倉駅の手前、国道16号をオーバークロスする下り線の橋桁は御陵線当時のもので「昭和五年株式會社横河橋梁製作所製作」と記してある。山田から右にカーブした盛り土の部分は畑になっているが、2カ所に「京王帝都電鉄」のマークが入った境界票が現存している。この先の武蔵横山駅の手前でも高架下の住宅街の小道に同様の境界票が残っていた。

国道16号をまたぐ京王片倉駅の架道橋。御陵線当時の橋桁が残っている(撮影:南正時)

甲州街道と交差する地点にあった武蔵横山駅は高架で、その先は浅川を渡り、高架のまま段丘に達し地上を走りながら多摩御陵前駅に向かった。廃線跡最大の遺構は、浅川を渡ったところの民家の敷地に2基のコンクリート橋脚が残っていることだ。長い年月ですでに民家の一部に取り込まれているが、なかなかの迫力だ。だが、明確な廃線跡の遺構はここまでで、空襲で焼失した多摩御陵前駅の跡地は閑静な住宅地となっている。

現在も残る御陵線の橋脚(撮影:南正時)

はかなく消えた御陵線だったが、現在の高尾線は高尾山への観光客で大にぎわいを見せている。一部ではあるが、御陵線は蘇ったのである。

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