人は「作家の食事」より「隣の献立」に興味があるものだから…エッセイストが伝授する"キラキラした自分史"の書き方
食べものに関する場合なら、「ある特定の地域では当たり前、だけど全国的に見たら独特といえる食べ方」を、まずはその地元の方々にみっちり取材。その魅力をさまざまな角度からまとめたVTRの終盤で、「ただ、この食べ方って、ここの人たちしかしていないんですよ」と伝えると、地元の方々は皆いっせいに「エーッ!」と驚くのです。
ここには、「2つのおもしろさ」が含まれています。1つは、地元にとって当たり前・普通・平凡なことを紹介するだけでも、私のようにテレビを見ている他の地域の人たちが、「へぇー、そうなんだ!」とおもしろみを感じること。
もう1つは、当たり前・普通・平凡に思っていたことが、実は全国的には珍しいことと知った地元の方々も、ビックリ仰天というおもしろさを味わっていることです
このケースを自分のことを書く場合に当てはめると、「地元の人=自分のことを書くあなた」「他の地域の人=あなたの書いた文章の読み手」ということになります。番組と同様に、あなたが当たり前・普通・平凡なことと思い込んでいることでも、その事実に接した読み手は、「へぇー、そうなんだ!」とおもしろがってくれるでしょう。
さらにあなたも、そんな読み手のリアクションを知ったら、「え? これっておもしろいの?」と、楽しくなりませんか?
あなたの中に眠っている「キラキラした思い出」
ここまでの話で、どんなに平凡だと思っている方でも、「周りの方たちにとっては興味深いこと」「自分では気づいていないおもしろさ」を持っている可能性に気づいてくださったでしょう。ですからあなたは、これまでの人生をありのままに書いていけばいいのです。
ただし、ここでちょっとした問題がよく起こります。自分は、何十年という長い人生を送ってきた。その人生の中の『どの部分』を書けばいいのか」という問題です。でも、この段階でいきなり考え込む必要はありません。
「カッコいい内容にするには」「高級感のある内容にするには」「人におもしろく思ってもらえる内容にするには」などと、ややこしく考える必要はないということです。むしろ、そう考えないほうがいいでしょう。
そんなめんどうな悩みに支配されていると、「うーん、どうしたらいいのかわからない」と思うようになり、書くことまでめんどうになりかねません。
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