「思考停止の30年間に区切りをつけるべき…」堀江貴文が着目するフジ・メディアHD再建の"意外な鉱脈"と"深刻な病理"
結局、長年にわたって球界と日本テレビが一緒になって巨人中心のビジネスモデルを作り上げていたのだが、多チャンネル化が進んだことで、徐々にその構造が崩れ、巨人戦の視聴率が下がったことで「ジャイアンツ1強」の時代がなくなった。
「巨人戦」という既得権益が消滅したことで、球界は明らかに良くなったと僕は思う。
NPBは、巨人中心主義を捨てて生まれ変わった。これは放送業界にも同じことが言える。スポンサーからの収入だけをアテにして、縮小していくパイを取り合う状況を続けている限り、テレビ局に未来はない。
逆に言えば経営努力次第で売上は大きく伸ばせるのであって、そちらのほうに舵を切らないといけないのに、いままで何もしてこなかった。
フジテレビが進むべき道は、自ずと明らかだろう。
思考停止の「失われた30年」に区切りを
僕は常々こう言っている。
「"失われた30年"の責任の一端は、テレビ局にある」
バブル崩壊以降、日本は低成長の時代が続き、日本はさまざまな意味で世界から立ち遅れ、貧しくなった。それはなぜかと言えば、強大な影響力を持ち、外部からの批判を受けることがなかったテレビ局が、メディアの果たすべき役割を放棄してきたからである。
日本のサブスクが世界から立ち遅れた理由は、民放キー局が内需だけで満足してしまったことだ。1990年代までのテレビ局は、国内だけを相手にしていても十分、面白いことができたし、利益を生み出すことができた。
この何も考える必要がない環境、誰からも批判されない環境が、放送業界をタコつぼ化させてしまったのだ。
なぜ、地上波があるのにサブスクなのか――そのことが昔のテレビマンはなかなか理解できない。むしろ自分たちの既得権益を脅かす、利益相反の象徴としてネットビジネスは敵視された。
自分で言うのも変な話だが、ライブドア時代の僕は、テレビ局にとっていちばんやっかいな人間だったと思う。
テレビに出せば数字は取れるが、業界の構造は熟知していて言いなりにはならない。要するに、自分たちの論理で動かない、コントロールできない人間というのは彼らにとってもっとも不都合なタイプなのだ。
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