京都名物の「年1便・春分の日運行バス」。「乗り遅れたら、次は1年後」のバス成立の背景と、大混雑も「路線は年々減少」のワケ

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しかし京都バスによると「一度廃止にしたバス路線を復活させるには、国交省からの再認可に最低でも3カ月」「自治体や警察の許可、周辺住民の理解を得る必要があり、実際にはさらに多くの時間が必要」とのこと。そのためには最低限でも運航実績が必要とされる。

いずれ必要となるかもしれない「大原~鞍馬間のバス路線」を維持するために、京都バスは「春分の日限定・片道1便だけ運行」で、95系統を維持しているのだ。

なお京都バスはこういった路線が最盛期には11路線もあり、すべて「春分の日のみ運行」だ。1台のバス・1人の運転手が2路線・3路線を掛け持ちすることもあり、まとめて効率よく運行できるというメリットもあるという。

ただ、京都市や地元・左京区にとっては、「春分の日のみ・年1回運行」といった95系統の現状は、誤算であったかもしれない。観光地の路線バスとして期待されていた開業当時を振り返り、今に至るまでの歴史を振り返ってみよう。

観光路線バス「北山バーディー号」新道とともに誕生

江文峠バス停
江文峠バス停(筆者撮影)

大原・鞍馬の両エリアを隔てる「江文峠」には、長らく未舗装の山道しかなかったという。片側1車線でバスの通行も可能な道路(京都府道40号)は1986年に開通、京都バス95系統も程なくして開業した。

1986年当時は、3月の春分の日から11月まで、週末を中心に定期運行されていた。これまで直接移動できなかった大原~鞍馬間のバスには、系統名とは別に「北山バーディー号」と愛称が付き、沿線では専用のパンフレットまで配られていたという。

バブル崩壊で観光業が冷え込んだ1994年度でも年間3200人が利用するなど、利用状況は決して悪くなかったようだ(2015年03月19日 読売新聞地方版)。

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