生物多様性「唯一の指標がない問題」識者語る真実 CSR活動を超えた実質的施策が必要とされる

生物多様性の喪失は気候変動と並ぶ環境課題
――生物多様性とは、どのような概念なのでしょうか。
生物多様性は文字どおり「生物が多様であること」を指しますが、正確な定義は複雑です。一般的には、「種間多様性」「種内多様性」「生態系多様性」の3階層に分類されます。
「種間多様性」は、バクテリア、植物、動物など異なる種の間の違いです。未発見の生物を含めると、その可能性は無限だといわれています。「種内多様性」は、犬種や人種のように、同じ種の中で遺伝的な違いが見られることを指します。「生態系多様性」は、森林や湿地、海洋のように、異なる環境や生態系の違いを指します。

東京大学先端科学技術研究センター教授
森 章(もり あきら)氏
京都大学大学院農学研究科・博士課程修了。博士(農学)。京都大学、サイモンフレーザー大学特別研究員、横浜国立大学教授などを経て現職。 国内外で積極的にフィールドワークを展開。『生物多様性の多様性』(共立出版)ほか著作多数
二酸化炭素の濃度や気温変化といった明確な指標がある気候変動と異なり、生物多様性を定量的に測るのは難しいです。
なぜなら、地球上には未発見の生物が無数に存在し、生態系の相互作用も環境の変化も複雑だからです。正確な数値化や評価がしにくいのが、生物多様性の特徴といえます。
――なぜ生物多様性が重要なのでしょうか。
生物多様性の喪失は、私たちの生活や経済に大きな影響を与える可能性があります。例えば、森林破壊が進めば水源が枯渇し、農業や食品産業などに大きな打撃を与えます。
また、生態系の劣化は、原材料の調達リスクを高め、事業継続に影響を及ぼします。サプライチェーンを介した生態系破壊が起これば、消費者や投資家の信頼を失う可能性もあります。
農業においては、農作物の多様性が高いほど安定的に作物を生産できるようになり、極端な気象条件にも耐えやすくなるといわれます。森林の樹木多様性が高いと光合成を介した二酸化炭素吸収が増加し、気候変動の緩和につながります。
人間の健康にも、生物多様性の高さがポジティブな影響を与えるという研究結果があります。
――生物多様性の現状を、どう見ていらっしゃいますか。
2020年以降の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)では、気候変動と並ぶ重大リスクとして取り上げられています。しかし現在、生物多様性の喪失が加速しています。土地開発や森林伐採、違法な野生動物取引などにより生物多様性が損なわれると、感染症拡大のリスクが高まるという指摘もあります。
生物多様性の保全が企業価値を左右する時代

――生物多様性のグローバルトレンドを教えてください。
気候変動対策と生物多様性の保全が相互に影響し合うものとして、対策を統合する動きが加速しています。24年は、生物多様性条約第16回締約国会議(COP16)と国連気候変動枠組条約第29回締約国会議(COP29)が開催されました。この2つは「双子の条約」と言われ、科学的な知見の共有に向けて両条約間の連携強化が必要とされています。
概念としては「ネイチャーポジティブ」(自然再興)が広く注目されています。現在進んでいる生物多様性の喪失を止めて、反転させ、回復軌道に乗せることを指す言葉です。そのためには、自然環境保護はもちろん、経済や政治、社会、教育などすべての側面から改善が必要です。
――その一方、米国などでは、環境政策が後退する懸念もあります。
米国のパリ協定離脱をきっかけに、環境政策への姿勢が揺れています。しかし米国は、生物多様性条約には加盟していないものの、生態系研究に多額の資金を投じ、大きな役割を果たしています。実際、研究者や一部の企業は環境問題に大きな関心を寄せ、積極的に取り組んできました。
投資家たちの間でも、生物多様性への具体的な取り組みが始まっています。例えば22年12月、生物多様性の喪失に対処するための世界的なイニシアチブとして、機関投資家の主導で「Nature Action 100」が設立されました。企業に対し、自然環境に配慮した経営を行うよう働きかけています。
CSRから経営戦略へ転換、生物多様性がビジネスのカギに
――生物多様性に対する日本企業の取り組みは、いかがでしょうか。
日本企業は、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)のアーリーアダプターが多いと評価されています。日本では生物多様性が政治的な主要議題になっているとは言いがたいですが、ビジネスの文脈で急速に取り入れられています。
実際、多くの企業関係者がサロンや勉強会に参加し、TNFDに限らず、生物多様性とビジネスやファイナンスの動向について理解を深めようとしています。大手企業が早期に動いたことで、その影響がサプライチェーン全体に波及し、多くの企業が対応し始めた可能性があります。
しかしこれまでの日本企業は、CSRの一環として植林活動などの取り組みを行ってきたケースが多いように見えます。今後は投資家や金融機関、ステークホルダーの納得を得られる、CSR活動の枠を超えた実質的な施策が求められます。
例えば、事業内容や経営方針と直結させながらネイチャーポジティブに貢献する場をつくり、経済合理性と生物多様性を両立させている企業もあります。また、基金を設立して運用益を基に生物多様性を支援する仕組みなども有効でしょう。
――今後の課題や、企業経営者に求められる視点とは。
企業経営者からいちばん多く寄せられる質問は「何を指標として測定すればよいのか?」というものです。しかし先ほど述べたとおり、生物多様性の評価は単純な指標で測れません。
生物多様性の維持にコストをかけることに疑問を持つ企業も少なくありません。しかし、生物多様性の保全は長期的なリスクマネジメントであり、事業の成長にも直結する戦略です。
一方で、1社単体での努力には限界があります。アライアンスを組み、国際的な枠組みの中で施策を前に進めるのも有効な解決策でしょう。生物多様性への対応は、ビジネスの競争力にも影響を及ぼす。その可能性を念頭に置き、経営戦略の1つとして取り組む姿勢が必要です。
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