渋谷が「花粉だらけ」だった時代を知っていますか 戦前に予見されていた日本人の花粉症との闘い

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斎藤らはさらに、各種の花粉やその抽出物を使い、鼻、目、皮膚での検証も行っている。その結果、カバノキ属やヤナギ属の花粉ではまったく症状が出ない一方、ごく微量のスギ花粉を鼻に吹き込むだけで患者全員にアレルギー反応が起きることが確認された。日本で初めて「スギ花粉症」が確認された瞬間である(※5)(※6)。

戦後復興と花粉症

ところで、スギ花粉症「発祥」の地となった日光地域は、江戸時代からすでにスギの産地として知られていた。一方、花粉症の症状が現地住民に出始めたのは、高度経済成長期の1950年代になってからだった。それも、スギに日常的に触れている林業関係者ではなく、なかには10歳未満の子供たちもいたという。

実は、花粉症は都市開発や大気汚染など、他の環境要因とも深く関係することが示唆されている(「ル・コルビュジエ設計「美しい街」住民たちの苦難」)。

英国でジョン・ボストック医師が初めて「枯草熱」の記載を行ったのは産業革命真っ只中の1819年。その後1870年代に花粉症の原因を突き止めたチャールズ・ハリソン・ブラックレイ医師も、農村だった地元マンチェスターが急激に工業化されていく中、数十年にわたって重い症状に苦しめられたという。

斎藤らが全国の耳鼻咽喉科医565名に対して行った調査では、スギ花粉症と思しき症状を訴える患者が急激に現れ始めたのは1955年以降だという。戦前の渋谷で花粉症の問題がまだ起きていなかったように、花粉がただ飛ぶだけでアレルギーに直結するとは限らないのだ(※7)。

1938年に花粉症時代の到来を予見していた今関は、「時代は遷〈めぐ〉り時代は変る」と述べている。環境変化とアレルギーの関係については、先述のマクフェイル氏の著書『アレルギー:私たちの体は世界の激変についていけない』に詳しい。都市開発や災害復興などで各地の姿が様変わりする今、街作りには数年後、数十年後を見通す意識が求められる。

(参考文献)
1. 大坪奏「花粉熱―花粉症を初めて紹介した記録」自然科学のとびら(神奈川県立生命の星・地球博物館)、第21巻、2015年
2. 斎藤洋三「スギ花粉症―過去・現在・将来―」日本花粉学会会誌、第45巻、1999年
3. 荒木英斉「花粉症の研究; I 空中花粉の季節的変動」アレルギー、 第9巻、1960年
4. 荒木英斉「花粉症の研究; II花粉による感作について」アレルギー、第10巻、1961年
5. 堀口申作、斎藤洋三「栃木県日光地方におけるスギ花粉症Japanese Cedar Pollinosisの発見」アレルギー、第13巻、1964年
6. 斎藤洋三「日本の花粉症 Pollinosis」日本耳鼻咽喉科学会会報、第71巻、1968年
7. 斎藤洋三「スギ花粉症―過去・現在・将来―」日本花粉学会会誌、第45巻、1999年
坪子 理美 英日翻訳者

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つぼこ さとみ / Satomi Tsuboko

英日翻訳者。博士(理学)。東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻博士課程修了。

訳書に『アレルギー:私たちの体は世界の激変についていけない』(東洋経済新報社)、『悪魔の細菌:超多剤耐性菌から夫を救った科学者の戦い』『カリコ博士のノーベル賞物語』(中央公論新社)、『クジラの海をゆく探究者〈ハンター〉たち:『白鯨』でひもとく海の自然史』『なぜ科学はストーリーを必要としているのか:ハリウッドに学んだ伝える技術』(慶應義塾大学出版会)、『CRISPR〈クリスパー〉ってなんだろう?:14歳からわかる遺伝子編集の倫理』(化学同人)など。

共著書に『遺伝子命名物語:名前に秘められた生物学のドラマ』(中公新書ラクレ、石井健一との共著)、寄稿書に『アカデミアを離れてみたら:博士、道なき道をゆく』(岩波書店)など。

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