初任地の熊本で水俣病の取材を担当して以来、現在に至るまで30年以上ライフワークとして水俣病問題を追い続けており、担当番組がギャラクシー賞(優れた放送番組に贈られる国内でもっとも権威のある賞)を受賞したこともある。また、青色LED開発に関する特許権訴訟をスクープし、報道局では「ニュース7」を担当するなど、充実したジャーナリスト人生を送ってきた。

熊本で被災、そして転職
人生のターニングポイントが訪れたのは、水俣病60年を担当するため3回目となる熊本放送局へ異動したときだ。
東島さんは30代に最初の結婚をしたが、40代のころには夫婦関係は破綻し、長期にわたる音信不通・別居状態のまま50代を迎えようとしていた。
そして2016年4月14日、自宅で熊本地震に遭遇した。49歳だった。
「14階建ての7階にひとりで住んでいたんですけど、食器棚が隣の部屋まで吹っ飛んで、めちゃくちゃでした。書斎も全部崩れて、ドアも開かないような状況でしたね。飼っていた猫もいなくなって、必死で探し回りました」。
淡々と語ってくださったが、おそらくこの言葉以上に実際はつらい状況であったに違いない。家財は半損の認定を受けた。

しかしそのとき、近くに住んでいた知り合いの女性が、親身になって部屋の片付けや猫の捜索に協力してくれた。猫は地震発生から3日目に、ソファーのすき間にもぐり込んでいたのが無事見つかったそうだ。ちなみにその女性こそが、現在の妻である。元々仕事上の関係だったが、この出来事が距離を縮めた。
現在の妻と交際するにあたり離婚を決意、54歳のときに離婚が成立し、その後入籍することになった。
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