森永卓郎「ガン宣告」を受けて最初にしたこと 最期まで実践した「自己表現と幸福な人生」
実際、日本に現れたこうした宗教のほとんどが、3つの時代の転換期に集中している。その理由を笠原教授は、時代の転換期に発生する社会的混乱と生活困窮に求めた。
時代の転換期で経済が混乱すると、当然、庶民の生活は苦しくなる。宗教家たちは、その苦痛を少しでも和らげようと考えた。
あえてウソをつく決心
たとえば、鎌倉仏教の創始者たちは「念仏さえ唱えれば、苦行などせずとも極楽浄土に行ける」と庶民に語りかけた。もちろん、宗教家たちは極楽浄土など存在しないことを深く認識している。
しかし、目の前で苦しんでいる民衆を救うためには、あえてウソをつくことが必要だ。
「あの世で幸せになれる」と庶民が信じれば、それが励みとなって、つらい、厳しい現世を生き抜くための張り合いが生まれ、前向きに生きていくことができる。だから、庶民に向けてあえてウソをつく決心をする。
それが、悟りを開くということなのだ、と笠原教授は講義したのだ。
私は、笠原教授の理論を次のように解釈した。
神も仏も存在しない。当然、あの世なんて存在しない。人間は死んだら元の木阿弥で何もなくなる。存在しているのは現世だけだ。実は、仏陀もあの世の存在を信じていなかった。
私は笠原教授の授業を受講している最中に、悟りの境地に達してしまった。だから、私の宗教上の立場は「モリタク教」の創始者で教祖だ。
ただ、モリタク教の信者はひとりもいない。私と本物の宗教家の最大の違いは、私は広く民衆を救おうと思うほど親切ではないということだ。
私が、あの世の存在を信じていない根拠は、笠原一男教授の授業だけではない。脳科学や生物学など、私の知る限りあらゆる科学的研究が、あの世の存在を否定しているからだ。
ただし、この点に関しては、私と異なる死生観を持つ人が多い。彼らは神や仏の存在を信じ、あの世の存在を信じている。私も、いまの科学研究を超えた真実があって、あの世が存在している可能性はゼロではないと思う。
ただひとつ確かなことは、どのような宗教観、死生観に立つとしても、現世だけは確実に存在しているということだ。
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