特にラーメン屋は下に見られているから、常にやっていないとダメで、町に他のラーメン屋も多いし、うちが休んでいる間に他に行ってしまったらどうしようと怖くて怖くて、そのまま30年経ってしまっていたんです」(冨田さん)
子供たちも成長していくし、20歳近くで結婚した佐登子さんも若い頃からずっと店に入ってどこも連れていけていない。旅行といっても、お店を休めないから深夜から車を出して日帰りで帰ってくるような生活だった。
従業員を雇って人に任せるという選択肢もあったが、冨田さんと佐登子さんのいない「豆天狗」はあり得なかった。「豆天狗」は店主が毎日店に立ってきた“顔の見えすぎる”お店だったのだ。
一度は完全引退、したはずだったが…
こうして、冨田さんは60歳で「豆天狗」を辞めて引退することを決意する。すると、知人の清水將行さんがお店を引き継ぎたいと手を挙げてくれた。こうして「豆天狗」は3代目に受け継がれることになる。冨田さんは40年間のラーメン人生にピリオドを打った。
「初めて兵庫県に行って姫路城を見て感動し、別府の温泉に入って気持ちいいなと。やっと一般の人になれたなという気分でした。日本中回っていろいろなものを見て、各地のラーメンも食べて回りました。
そして、5年経って、ちょうどコロナも終わり始めた頃に、もう一度ラーメン屋をやりたいと思ったんです」(冨田さん)
冨田さんは故郷・高山のラーメンを首都圏で食べられるお店を作りたかった。「東京ラーメンショー」や「大つけ麺博」などのイベントや、ラーメン商業施設への出店などで高山ラーメンを全国に紹介してきた冨田さんは、首都圏で店を開く夢があったのだ。引退後もいつか小さなお店を開ければと物件を探すなどしていたが、それは叶わなかった。
「ここではじめて自分が歳だっていうことを認識したんです。65歳でオープンして10年やったら75歳。敷金・礼金にお店の造作費用、さらに家賃、これを何年で払っていくのか。天井のある状態でこれをやってはダメだと断念しました。これはショックでしたね」(冨田さん)
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