「味噌汁のような味付け製法だから、その味を伝えていくのはなかなか難しいです。カレーだったらレシピがあるけど、味噌汁はあるようでない。味噌は同じだし、作り方も同じだけど、なんか違うという世界なんです。だから、作る人が変われば味も変わってしまうパターンが多いんですよね。
高山のラーメン屋は淡いスープであっさりしたいわゆる昔からある優しい味のラーメンを出すお店と、濃いめの醤油ラーメンを出すところと2つに分かれます。『豆天狗』はもともと優しめのお店でしたが、私の代になってから少しずつ濃いめに変えていきました」(冨田さん)
60歳で「豆天狗」を辞めて引退することを決意
28歳で完全な代替わりをしてから3年間は1人でお店を回してきたが、31歳の頃に妻の佐登子さんと結婚し、2人でお店を切り盛りするようになる。

冨田さんは高山の伝統的な製法を守りつつ、味にブラッシュアップを重ね、食べ応えのある味に仕上げていった。加えて、自家製麺の成功もあって客入りはうなぎ上りに伸びていく。
栄華を極めた「豆天狗」は高山ラーメンのトップランナーとして突っ走ってきたが、50歳の頃、冨田さんは「引退」を考え始める。必死に毎日ラーメンを作ってお店を繁盛させてきたが、家族に何もしてやれていないことに気づいたのである。
「昭和の時代から飲食店、特にラーメン屋は休むことは悪でした。1日休めば『お前どこ行ってるんだ。お客さんいなくなるぞ』と言われる時代。週1回の休み以外は休んでは絶対にダメだったんです。
営業時間を10時までと明記しているのに7時に終わって完売とかももってのほかでした。休む・時間を破る店は商売を辞めろという雰囲気だったんです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら