歴史教科書で学んだ「渡来人」の本当の正体 古代人のDNA解析でかつての「定説」が覆った
これまでに縄文時代の人骨が大陸のものとは異なる独自の遺伝情報をもっていたことが明らかにされてきた。また、弥生時代の人骨の遺伝情報に、ロシアのバイカル湖から中国の遼東(りょうとう)半島にかけての地域(北東アジア)の古代人の遺伝情報と共通する要素がある点も指摘されていた。
そして今回の覚張氏らの分析によって、古墳時代の人骨の遺伝情報が、中国の黄河流域などの東アジアの古代人の遺伝情報により近いことが発見された。それを示したのが、この図である。そしてその図に従えば、現代の本州の日本人の遺伝情報の約70パーセントが、東アジア祖先のものであることになる。
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この覚張氏らの報告は、わずか12体の古代人の人骨の分析にもとづくものにすぎなかった。そして覚張氏らの研究の3年後に、現在の日本人の遺伝情報に関する理化学研究所の大掛かりな調査がなされた。それによって、日本人の祖先のなかの縄文系、北東アジア系、東アジア系の割合に関して、覚張氏らの説と異なる数値が出された。
しかし覚張氏らの研究が、「古墳時代に朝鮮半島北部、中部からきわめて多くの人間が日本列島に渡って来たこと」を明らかにした点は、高く評価すべきである。
「渡来人」は技術者や学者の集団か?
日本古代史の研究者は、誰も覚張氏が指摘したような事実を想像してこなかった。「古墳時代に、それまでの日本列島の住人の人数より多数の移住者が朝鮮半島の北部、中部から来るわけがない」と考えていたのだ。
「日本人の祖先は縄文人である」
などといわれたこともあった。しかし、日本古代史の研究者で、次のような主張をした者は一人もいなかった。
「日本人の主な先祖は、古墳時代に朝鮮半島北部、中部から渡って来た人びとだ」
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