「つながりを、チカラに。」
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名城大学
窒化ガリウムの可能性を信じただひとり困難な道を行く
赤﨑 松下電器東京研究所時代には、光る半導体の研究をしていて、「赤」や「緑」を作っていたのですが、結局それは「二番煎じ」なんですね。そこで「青」をやろうと思ったとき、おっしゃったように非常に厄介な研究なので皆やめてしまっていることを知りました。そんななかで、昔の方法で作った窒化ガリウムを顕微鏡でよくよく見ていると、ほんの小さな部分ですけれど、非常にきれいな部分が混じっていることに気付いたのです。つまり、きれいな結晶ができる可能性はゼロではなく、問題はそのきれいな部分をいかに結晶全体にまで広げるかなのです。それを「結晶成長」と言いますが、この時の決断が大きな岐路だったと思います。さきほど「何をやるか」が大事だと言いましたが、「MOVPE法」という今までと違う方法をやると決めて、東京から名古屋大学に戻ってきました。そのとき、一緒にやる学生はいないかと呼び掛け、真っ先に飛び込んできたのが、天野浩君だったのです。
吉久 先生のそうしたぶれない姿勢、信念を持って貫く姿勢はすごいと思います。だからこそ、求めるものをつかみ取ることができたのでしょうね。今回、長年一緒に研究をされ、本学でも教授をされた天野先生も一緒に受賞されたことをお聞きになったときはいかがでしたか。
赤﨑 非常に良かったと思いました。彼がほんとうに頑張ってくれましたのでね。研究の細かなやり方までは言いませんでしたが、とにかくやるんだという思いが、大事がポイントだったと思います。結晶を成長させるというのは、理詰めなところもありますが、複雑な現象ですから全部は詰められないのです。最後は勘が必要なんですね。実験を繰り返して微修正しながら。ある程度は今まで培った勘を使いながら、粘り強く研究していく必要があります。それを天野君が同僚と助け合いながら頑張って、私もそれを辛抱強く待っていたところがあります。
吉久 そうした困難を乗り越えての成果が認められた今回の受賞ですが、学生や教職員に与えた自信や勇気には大きなものがあります。私たちは10年以上、10月の第2週のノーベル物理学賞の発表の日には学長室に集まって待っていましたが、去年ついにその瞬間が来たときには、一斉に歓声があがりました。そのあと、記者会見などで先生は本当に大変でしたが、在学生も卒業生も、地域の方々も皆さん本当に元気をいただきました。