中野晴啓(セゾン投信代表取締役社長) × うちだまさみ(フリーアナウンサー)
「株式投資はビジネスの価値を見極めること」
東京証券取引所

うちだ 中野さんは社内起業という形でセゾン投信を立ち上げたわけですが、もともと投資には興味があったのですか。
中野 いえ、全然ありませんでした。セゾングループに入社したのは、ファッションや街づくりの仕事をしたかったからなのですよ。当時はバブル華やかなりし時代で、セゾングループは西武百貨店やパルコなどを核にして文化の発信に積極的でした。日本の文化を創っていくというイメージが強い企業で、それに憧れてセゾングループに入ったのですが、配属先はデパートでもなければデベロッパーでもない、グループの金融子会社でした。
うちだ そこでどのようなお仕事に従事されていたのですか。
中野 当時はとにかくお金が余っていて、多くの企業が財テクに走っている時代でした。本業で稼ぐだけでなく、株式投資などでもお金を稼いでいたのです。セゾングループも銀行などからお金を借り入れて、それを証券投資に回していました。こうした資金運用の最前線に送り込まれたのです。そこで下積みのような仕事を2年。それからグループの投資顧問会社に転籍となり、より本格的な資産運用の世界を経験することになりました。
うちだ 株式の運用ですか。

中野晴啓
中野 債券が中心です。なかでも外国債券を中心にしたグローバルポートフォリオ運用を行っていました。当時はLBO(レバレッジドバイアウト)といって、買収相手先の資産を担保にして低格付けの社債を発行し、その資金でM&Aを行うという手法が盛んで、この低格付けの社債を用いたポートフォリオの構築や、金利スワップを用いたアービトラージ戦略など、かなり高度な運用を行っていました。当時、日本の大手銀行でも、この手の運用はほとんど行われていなかったので、最先端の債券投資を経験していたというわけです。
うちだ とてもやりがいのあるお仕事だったと推察するのですが、どうしてその後、投信会社を立ち上げようと思ったのですか。
中野 グローバルな債券運用はとても刺激的でしたし、勉強にもなったのですが、同じ仕事を10年も続けているうちに、何か自分のなかで達成感のようなものが芽生えてしまったのですね。それに、言うなれば機関投資家の運用ですから、1年経つと決算を迎えてしまう。それまでに成果を上げなければならないので、どうしても運用が近視眼的になってしまう。でも、個人のマネーなら決算は関係ないので、長期投資が出来るはずだと踏んだのです。ただ、いきなり投資信託会社を立ち上げるのは、いろいろな面でハードルが高かったので、まずその時に所属していた投資顧問会社で、米国の投資会社と共同運用する外国投資信託を立ち上げました。
うちだ 運用は順調でしたか。
中野 運用自体はなかなか良い成績を出していたのですが、運用開始から半年後に大きな壁に突き当たりました。成績が良いのに解約が殺到したのです。このファンドを販売した証券会社が、他の投資信託に乗り換えさせるため、お客様に解約するよう勧めたのです。結局、このファンドからはあっという間にお金が流出し、運用を継続できなくなりました。