花山天皇も驚いた「藤原道長」の豪胆すぎる性格 青年時代から兄たちよりも数段優れていた?
道長と公任は従兄弟の関係。さらには、同い年でもありました。そのため公任に対して、兄たちよりも、激しい対抗心を道長は燃やしたのではないでしょうか。
『大鏡』には、道長の青年時代のエピソードが、ほかにも収録されています。例えば、次のようなものです。
花山天皇がまだ御在位のときでした。5月下旬の不気味な闇夜のこと。五月雨の時期もすぎたというのに、外は激しい雨が降っていました。
花山天皇は物寂しいと思われたのでしょうか。清涼殿の殿上の間に御出ましなされて、殿上人を相手に他愛のないお話をされていました。
やがて、話題は昔の怪談話になっていきました。その時、花山天皇はふと次のようなお話をしました。
「今夜は、とても気味が悪い夜だ。このように、周りに人が多くいても、不気味な感じがする。そうであるのに、人気のない遠く離れたところは、どのような感じであろうか。そのようなところに、1人で行けるであろうか」と。
ほとんどの者は「とても、そのようなところに参ることはできないでしょう」と答えます。
「どこにでも行く」と答えた道長
しかし、その中で道長だけが「どこにでも参りましょう」と申し上げたのです。
道長の答えを面白く思われた花山天皇は「それは興味深い。ならば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け」と仰せになりました。
花山天皇の御命令を受けた道隆と道兼は、顔色も変わり、困ったことになったという雰囲気が漂います。
しかし、道長はそのような様子もなく「私の従者は連れて行きません。この近衛の陣の吉上でも、滝口の武士でも、1人を召して『昭慶門まで送れ』とご命令をお下しください。そこから内には1人で入りましょう」と言い放つのです。
花山天皇はそれに対し、1人で中に入ったのでは、本当に大極殿まで行ったか否か「証拠がないではないか」と仰せになります。
道長も「なるほど」と思い、花山天皇がお手箱に置いておられる小刀をもらい受けて、座を立ちました。
道隆と道兼も、渋々ながら、その場を離れます。花山天皇は「道隆は右衛門の陣から出よ。道長は承明門から出よ」と出る門までも、分けられました。
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