アスリートのキャリアチェンジを支援する・後編 FLAPサイクルはスポーツでもビジネスでも
FLAPサイクルを回し続ける中で得られた「必ず何とかなる」という直感
杉山 もう一つ、大きな転機は、シルク・ドゥ・ソレイユを辞める決断をしたときです。次に何をするかも決まっていなかったのですが、直感的に「今が次のステップに進むときなんだ」と感じました。
シルクに入って7年間、ラスベガスの夢の舞台にパフォーマーとして出演しました。初めて観客席からショーを見たとき、こんな舞台に立てたらどんな幸せな気持ちになるんだろうと思いました。実際に自分が立てたときにはこれまでにない満足感と充実感を得ましたが、それと同時に夢がかなうということは、夢を失うことでもあるのだと初めて気づいたんです。シルク・ドゥ・ソレイユという大きな光に到達し、次に目指すものがわからなくなったとき、真っ暗なトンネルの中にいるような感覚になりました。
「次にやりたいことがわからない」状況だった私は、新たな目標(光)を見つけるためにFLAPサイクルを回し続けました。本当に自分の心が求めているものは何か、自分自身と向き合い続け、どんなときも自分の本心から逃げなかった。これを繰り返していく中で、「美紗だったら何があっても何とかなるし、何とかするよね」と自分自身に言えるようになりました。そんな自分との信頼関係を築けたことで、シルクを辞めても大丈夫だ、今がそのときだ、という直感を信じて思い切って舵を切ることができたのだと思います。
木村 FLAPサイクルを回し続ける中で「必ず何とかなる」という直感を得られたというのは、FLAPサイクルの本質、根源的な役割のような気がします。また「Find=知る」もいろいろです。自分の内面を見つめて、自分の直感を信じて行動しようという感覚が得られたのも杉山さんの優れた特性でしょう。
気づかなかった自分の強みを周囲の言葉で「Find=知る」
木村 又吉さんはご自身のキャリアをどう捉えていますか。
又吉 私はこれまで2回、大きなFLAPサイクルを経験していると思います。ソフトボール選手になりたいと思った最初のきっかけは、小学校4年生のときに男子と一緒に野球を始めたことでした。先に野球をやっていた兄が小学校を卒業するときに、父が「もう少年野球を見に行けなくなるな」と寂しそうに言って、なんだかかわいそうだなと思って、私が野球をすれば父が喜ぶかと。
杉山 優しい(笑)。
又吉 ただ野球はずっと好きになれませんでした。ところが小学校6年生のとき、初めて実業団の試合を観戦して、「ソフトボールをやってお金をもらえるなんて、めっちゃいいね!」と思ったのです。
木村 それが又吉さんにとって、最初の「Find=知る」だったのですね。
又吉 ちょうどシドニーオリンピックの頃で、ソフトボール日本代表の特集番組などもあって感化されて、絶対にソフトボールの日本代表になるんだと決意しました。小学6年生の頃、新聞の「ボクの夢私の夢」というコーナーにも、将来の夢に「日本代表になりたい」と書いています。
それ以来、どうやったら日本代表になれるかだけを考えて行動しました。高校受験の際にも、実業団の1部リーグに入れる強豪校かどうかを軸にして高校選びをしたほどです。この時期に学んだのは「やると決めたらやり遂げなければならない」ということでした。「一度掲げた夢は絶対に諦めてはいけない」と思って過ごしていました。
木村 単に知識を得る意味での「Learn=学ぶ」というより、美意識や行動規範のような、アスリートとして大切なものを身に付けたという感じかもしれませんね。
又吉 その結果、高校3年生のインターハイで優勝しました。ところが、その成果とは反対に、周りの大人からは、又吉は実業団に行けるような才能はないと言われていました。悔しさを抱きながらも紆余曲折があってご縁をいただいたホンダへ実業団選手として入社しましたが、3年間、いっさい試合に出られませんでした。お給料をもらって試合に出られないのは正直かなり屈辱です。
そろそろ戦力外通告されるだろうと思い、自分から「辞めます」と伝えると、監督が「おまえは誰よりも熱意があるからもう少しやってみたらどうだ?」と言ってくれたのです。その言葉をもらった4年目のシーズンは、一気にチャンスをものにした1年だったと思います。それでも実力はまだまだ未熟な部分ばかりで、練習量をひたすら増やし、質も磨いていった結果、9年目で日本代表に初選出され、10年目で世界選手権に出場することができました。
木村 監督の「おまえは熱意がある」という言葉がポイントですよね。気づかなかった強みを、周囲の人から指摘してもらって「知る」のは重みがあります。そこが重要な転機ですね。そして引退後、ビジネスの世界に転身されたのですね。
選手からビジネス界へ転身!人材としての市場価値は?
又吉 2回目のFLAPサイクルになります。2017年に引退して、キャリアについて真剣に悩みました。そのままホンダに在籍していましたが、自分がここにいる意味はあるのか。この先のビジョンは何なのか。何カ月も考えて思い至ったのが「経営者になりたい」でした。自分の経験を踏まえて、アスリートが引退後も新しいことにチャレンジできる環境をつくりたいと思ったのです。
その頃、出会ったのが現在在籍している会社、あつまるの代表・石井(陽介社長)でした。石井は私のビジョンをいっさい否定することなく、ビジョン実現のプロセスを一緒に考えてくれたことが衝撃的で、経営者になるためにあつまるに転職を決めました。
現在は、顧客企業の中期経営計画達成やビジョン実現のために、集客と採用の二軸でサポートをしています。ここで働くことを通じて自分がもっと活躍するために足りない部分を知り、マーケティングを学び、お客様のサポートという行動をする。そんなふうにここでもFLAPサイクルを回しています。
木村 大手企業に勤め続けることもできた状況で、自分の「ありたい姿」や強みをもう一度見つめ直し、新たな行動につなげたわけですね。
又吉 かつて「おまえには社会での市場価値はない」と言われたことがありました。ショックでしたが、同時に「それって本当?」と疑問に感じたんです。確かにビジネスの実績は乏しいかもしれないけれど、日本代表としてやってきた過去の実績はすべて身になっているはず、本当に市場価値がないのかを自分で試してみよう、と考えました。
木村 人材の市場価値は、FLAPサイクルを自律的にどれだけ回してきたかで決まると私は考えています。又吉さん、杉山さん、笹原さんのような人材が、スポーツ界にはたくさんいます。その意味でも、「人材の市場価値=ビジネスの経験」という狭い視野ではなく、「人材の価値=FLAPサイクル」「スポーツでFLAPしてきたからビジネスでもFLAPする可能性が高い」という共通認識を社会に広げていきたい。「アスリートFLAP支援事業」がその契機となるよう、積極的に取り組んでいきたいと考えています。
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※この対談は、『フロネシス24号 未来社会への新胎動』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。