アスリートのキャリアチェンジを支援する・前編 キャリア自律を可能にする「アスリートFLAP」
キャリア形成をめぐる問題解決のカギとなる「FLAPサイクル」
木村 まずは「FLAP」をキーワードとして、皆さんにアスリートとしてのご自分のキャリアを振り返っていただきたいと思います。「FLAP」とは、誰もが自分らしい人生を生き、キャリアを歩むための概念で、「Find(知る)」「Learn(学ぶ)」「Act(行動する)」「Perform(活躍する)」の頭文字をとったものです。FLAPサイクルを社会に浸透させていくことが、日本の働き方やキャリア形成をめぐる課題解決のカギとなると私たちは考えています。
実はこれまでのビジネスパーソンは、就職時以外のキャリア形成は会社任せで、自分で考えることが少なかった。ところが人生100年時代が見えてくる中で、誰もが何度もキャリアチェンジを経験する可能性が出てきました。アスリートの皆さんが中長期のキャリア選択でも、日常の競技パフォーマンス向上でも実践しているFLAPのプロセスが、ビジネスパーソンに有益な学びを与えてくれるはずです。
笹原 アスリートは、FLAPを当たり前のように実践していますね。
杉山 そう、ただしこのサイクルを実践してきたことが、社会でも広く活用できるとは、私自身あまり自覚していませんでした。
又吉 アスリートは自分のことを知らないと思います。セカンドキャリアで悩む人が多いのも、スポーツの世界しか知らなくて、ほかに何ができるかわからないからだと思います。でもスポーツで培ってきたすばらしいものが必ずあるはずで、今まで生きてきた環境だけにとどまってしまうのはもったいないですよね。
木村 確かにアスリートの皆さんで、自分の強みや経験をどう生かしたらいいかわからない人は多い。自分の経験を言語化し、それが他の分野でも役立つと認識することが重要で、アスリートFLAP支援事業がその一助になれたらと考えています。では、笹原さんからキャリアのお話をいただけますか。
現役を続けながらコーチも普及活動も!FLAPをいくつも回す強み
笹原 テニスプレーヤーを目指したきっかけは、習い始めたばかりの頃に「才能がない」と言われたことでした。ずっと兄をまねしていろいろなスポーツを始め、いつも「君は才能があるね」と褒めてもらっていたのに、たまたま自分に合っていると感じたテニスに「才能がない」と言われたんです。後からその指導者に聞いた話では、調子に乗りやすい僕の性格を見抜いてそう発言したようですが、僕は悔しくて悔しくて朝から晩まで一人で壁打ち練習しました。自分に何が足りなくて、何が強みなのか、自然とその悔しさの中から学んでいった気がします。
木村 たぶん笹原さんは「Find=知る」ではなく「Act=行動する」からサイクルが始まるタイプですね。
笹原 大きな転機がいつも“負けた試合”によって訪れるというのも特徴かもしれません。勝つことでより高いステージに上がっていくのがスポーツの王道ですし、FLAPの「Perform=活躍する」もそうですが、僕の場合は逆でした。例えば、高校の推薦入学がかかった試合は、極度のプレッシャーもあって敗れました。けれども試合中の前向きな姿勢がテニス部顧問の先生に注目されて特待生入学になりました。
東日本大震災の影響で大学入学が1年延期になったため、国内大会を巡っていたときも、負けた試合の後にサーブ練習を繰り返していたのを偶然アメリカのコーチが見つけてくれました。なんと「カリフォルニアに来ないか」とスカウトされたのです。アメリカのアカデミーコーチに認められて選手兼コーチの契約につながったのも、同じような逆境の負け試合でした。
杉山 すごい(笑)。
木村 つまり、試合に勝つことだけが「Perform=活躍する」ではないんですよね。笹原さんは、プロテニスプレーヤーの活動と並行して、ジュニア選手の育成にも熱心に取り組まれています。
笹原 現状では、国内テニスツアーにおいて会場が観客で満員になることは難しく、この悲しい現実を変えたい、テニスのすばらしさを次世代に伝えたいと、日本でのジュニア選手指導を始めました。引退してからではなく、現役プレーヤーだからこそ伝えられることがあるはずと考えての行動です。この活動までを含め、自分のFLAPサイクルの第1章だと思っています。
木村 引退後のセカンドキャリアとは違った、選手としての活動と同時進行する指導者のFLAPサイクルですね。
笹原 そうだと思います。2020年からが自分のFLAPサイクルの第2章です。コロナ禍でアスリートたちは活動制限を受けました。とくにテニス選手は通常、国際大会に出場するために世界中を転戦します。その自由が奪われる中で、自分の存在意義や価値について自問自答する状況でした。
日本でのテニス選手の認知度の低さを課題と感じていた僕が決めたのが、テニスの普及活動です。まずはみんなに楽しんでもらおうと、SNSを活用して「グリップ早巻きチャレンジ」を実施したのです。これが注目されて、多くの企業や団体からの支援を受け、全国のラケット競技の普及活動につながりました。
木村 笹原さんのように、現役のアスリートとして活躍しながら、ほかに関心のある活動やビジネスをデュアルに実践して、次のFLAPサイクルを回すことができたら、引退後のセカンドキャリアにも役に立つかもしれない。そういう選択肢があることを、より多くのアスリートに知っていただきたいと考えています。
FLAPサイクルを回して新たな目標を見つける
木村 杉山さんはいかがですか。
杉山 私も(笹原)龍君と少し似ていて、兄や姉をまねてスポーツを始めました。最初は泳ぐのが本当に苦手で、兄と姉はどんどんうまくなるのに、私はテストで何度も落ちていました。
笹原 合格すると、バッジがもらえる仕組みですね。
杉山 そうです。私は下手だったので、なかなかバッジがもらえなくて。
それから姉がアーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)を始めたので私も一緒に始めました。小学校5年生のときに、オリンピック日本代表選手育成プログラム(一貫指導)のオーディションに参加し、まさかの合格。私も周りも信じられませんでした。
そのときは自分でオリンピックという夢を見つけたというよりも、ただ楽しくて目の前のことに挑戦していたら、オリンピックという大きな目標が目の前に突然現れた感じでした。「そうか、これから私はオリンピックを目指すのか」みたいな。みんなに応援され、期待に応えたいという思いでアーティスティックスイミングに取り組みました。
木村 その時点で好きになったのですか?
杉山 実はずっと苦手意識が強く、なかなか好きになれずにいました。もともと表現することは大好きで、最初の夢はバレリーナでした。競技はなかなか好きになれませんでしたが、日本代表を目指す過程で「表現する場がバレエの舞台から水の中に変わっただけ」と気づき、練習に取り組んでいました。
木村 興味深いお話です。FLAPサイクルの出発点は「Find=知る」で、一流のアスリートは、自分が本当に好きなものを知っているから強いのだと思っていました。ところが好きとは無関係でも、自分なりの気づきや学びを重ねていけば、ちゃんと活躍できる。アスリートだけではなく、ビジネスパーソンにとってもヒントになりそうです。
杉山 ただ実際は思うような結果が出せず、精神的にも本当につらくて、水着も着られない、プールに1ミリも入りたくないという時期もありました。
大きな転機はやはり「シルク・ドゥ・ソレイユ」です。オリンピックの先にある夢をもてました。最初にショーを見たのは14歳のときで、魂が震えるほど感動しました。その後でアーティスティックスイマーとしてシルク・ドゥ・ソレイユの一員にもなれることを知ったのです。
「シルクに入りたい」。そのためには、まず選手として結果を出してチームにも貢献し、「私はアーティスティックスイミングの日本代表でした」と胸を張って言えるようにならないと。そう思ってずっと頑張れました。シルク・ドゥ・ソレイユは、決まった時期に試験があるというシステムとは違います。希望を出していると突然オーディションの連絡があり、仮にそれに合格してもいつショーに呼ばれるか保証がない。だから、いつでも対応できるように準備しておかなければいけないと思いました。
それでも絶対にシルクに入ると決めていましたから、オールベットする(すべてを賭ける)つもりで、2014年に選手を引退して、シルクに向けてできることを全部やりました。これがたぶん私の「Act=行動」だったと思います。
木村 笹原さんとも通じる、一流アスリートだからこその決断力と行動力ですね。(後編に続く)
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※この対談は、『フロネシス24号 未来社会への新胎動』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。