人と人との信頼関係でつむぐ「食農×IT」・後編 食農のイノベーションをビジネスチャンスに

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エムスクエア・ラボ 加藤百合子氏 三菱総合研究所 山本奈々絵氏
写真右/加藤百合子氏(エムスクエア・ラボ代表取締役社長)
写真左/山本奈々絵氏(三菱総合研究所 経営イノベーション本部 ヘルスケア・食農グループ 兼 政策・経済センター)
前編では環境負荷などの食農分野の大きな課題について、エムスクエア・ラボ代表取締役社長の加藤百合子氏に三菱総合研究所(MRI)の山本奈々絵氏が話を聞いてきた。後編では、その課題解決に向けたより具体的な話題が展開される。AIなどITの活用、若い就農希望者を支える地域の仕組みづくり、そして他のビジネス分野との連携や融合など、人間生活の根幹となる産業である食農のイノベーションへの希望と期待が二人によって語られている。(前編はこちら)

テクノロジーで生産性と持続性を向上 

山本 生産性の低さは日本の農業にとって大きな課題の一つです。アメリカのように広大な土地があれば効率を上げることもできるでしょうが、日本の農家の多くが小規模です。さらに仕事の手順が属人的で暗黙知化しています。この暗黙知を形式知にするという点が一つ重要なポイントなのでしょうが、そのために加藤さんが取り組んでいるロボットなどITの活用が有効だと思われます。エムスクエア・ラボでは、実際にロボットの開発なども行っていますね。

加藤 私たちの「Mobile Mover(モバイルムーバー)」は、自動車メーカーと共同開発したもので、田畑の周りに茂る雑草を踏み続けることで成長を抑制します。スマートフォンで遠隔操作できるので、農家は田畑に行く必要もありません。農家にとって雑草対策は大きな負担となりますが、これを軽減するのが狙いです。

ただし一足飛びに、これからの農業はロボットがすべてできる、人間はいらなくなるとは思っていません。農業は天候にも大きく左右されます。さらにマーケットの動向も刻々と変化し、管理系、作業系それぞれに判断が求められます。最終的には人間がやる部分がいろいろ残りますし、その判断も容易ではありません。その点もまたAIなどが支援するようになるでしょう。

幸い、会社のあるエリアは、生産性改善について知見のあるエンジニアが数多くいます。私たちの農場をラボ的に開放して、そのような工業系の人たちが集まる場にしたいと考えています。

山本 農家にとって、また、それ以外の多くの方にとって、今まで人間がしていた判断をAIにさせるというと、すごく世界が変わる、怖いことのように感じられるかもしれません。AIは過去のデータを基に学習していくものですから、最初のうちは自分の経験をインプットして育て、手伝ってくれる“相談相手的な使い方”だと考えれば、ハードルが下がりそうですよね。

生産予測などでAIを活用しながら、さまざまな判断を“手伝ってもらう”プロセスを通じて、暗黙知をほかの人に伝えられるようにもなると思います。もっとも、農家にとってはAI以前にIT自体に対する心理的なハードルが高いかもしれませんが。

加藤 ITは自分には関係ないと考えている人も多くいます。でも、実は農家の生産の現場では大量のデータが取得できます。AIの開発には理想的です。

もちろん「そういうのが苦手だから農業をやっているんだ」という人もいるでしょう。それでも構わないのです。「餅は餅屋」で、そういったことが得意な外部の企業や人材と連携するのもよいと思います。ただ注意すべきは、大手のIT企業がその暗黙知を全部自分たちのものとしてしまったような事例があったことです。知財の観点では、農家にきちんとしたバックがなければ成立しません。お互いに尊敬し合う関係性がないと、また分断が起こってしまいます。

山本 日本では農業などの一次産業でDXの遅れが指摘されています。しかし、何が何でも、どんな農家でもDXを進めるべきだとは思いません。ただ、一定規模以上の農家で、自分のやりたい仕事を追求する方や、経営を安定させつつ、適度に休暇・休息も取りたいという方には、DXが必要でしょう。経営規模がある程度大きくなると、事業所内や地域内のコミュニケーション・情報共有なども必須になります。

エムスクエア・ラボ 加藤 百合子
加藤 百合子(かとう・ゆりこ)
千葉県出身。東京大学農学部で農業システムの研究に携わり、イギリス・クランフィールド大学で修士号取得、アメリカに移りNASAのプロジェクトに参画。帰国後、結婚を機に静岡に移住し、産業用機械の研究開発に従事。2009年エムスクエア・ラボを設立し現職。

意欲のある生産者を地域ぐるみで支えるべき

加藤 最近、エムスクエア・ラボの活動に賛同し、一緒に何かやりたいという農家も増えてきました。視野を広げて、自分たちに何ができるかを考えるきっかけにしてほしいと思います。

山本 われわれが実施したアンケート調査で、コロナ禍の中で成人したような若い世代から30代くらいまでは環境配慮商品の購入に対する意識が高いということがわかりました。学校教育の賜物なのか、SNSなどの影響なのでしょうか。そのような人が増えることで、消費者の意識や行動が変わるかもしれないと期待しています。

生産~加工~流通についても、環境負荷低減に取り組む仲間やプレーヤーを増やしていけないかと思い、企業などに提案しているところです。サプライチェーンで連携して取り組むためには、例えば生産から消費までの環境負荷を「見える化」することによる効果があるのではないかと思っています。

加藤 「やさいバス」は共同配送するのでCO2排出削減に貢献できます。私たちとしてもフードマイレージの観点で、すべての受発注に距離が付けられるので、輸送時のCO2排出削減評価のようなものもお出しできます。地場のスーパーなどでも徐々に理解が深まってきています。

山本 実際の生産に関しても、農業をやりたいという若い人は一定数います。前述のとおり、高齢化などに伴い、農業経営体数は30年後には8割減になってしまう見通しですが、農業経営体数の減少は悪いことばかりではありません。経営体数が8割減少しても売り上げや付加価値が全体で8割を維持できれば、1経営体当たりの売り上げや付加価値は4倍になります。この15年ぐらいは、農業経営体の大規模化が一定程度促進され、こうした流れができつつあります。何億、何十億と売り上げを上げるような、大規模農業経営体も重要ですが、3000万円程度の売り上げで、こだわりをもって、仕事としての農業に楽しみながら取り組んでいけるような、中規模の農業経営体を維持・育成できる仕組みづくりも非常に重要だと思います。

これから農業を始めようとする人、事業承継された人、引き続き従事する人を加えて総数が減ったとしても、生産性を高め、ある程度経営が安定する中規模の農家を日本全体として保つことができれば、日本の食卓を支えられる力を何とかまだ残していけるのではないか、というのがわれわれの見立てです。意欲のある生産者を地域ぐるみで支える仕組みが大切だと思います。

加藤 以前に比べると農業法人は比較的容易につくれるようになっています。とはいっても、未経験者が簡単に始められるわけではありません。背景として、農業は地域の共助コミュニティが不可欠であることが挙げられます。例えば、台風が来そうだとなれば、地域が総出で事前に災害を防ぐための対策をするというようなことが積み重なります。独自の思想をもって一人でやっているオーガニックの農家などは孤立してしまい助けが来ません。常勤雇用だけではそれだけの労働力を確保できません。差分をどう確保するかが重要です。

これから農業を始めようとする人に、もし条件のよくない農地しか与えられなかったら立ち行かなくなるのは明らかです。若い人たちになるべくよい農地を譲って、みんなでサポートしよう、という未来志向の地域は発展します。

逆に「よそ者によい土地なんかやれるか」「俺たちと同じ苦労をしてはい上がってこない限りは仲間として認めない」といった地域は衰退するしかありません。地域の共助コミュニティのあり方が明暗を分けるのです。

幸い、私たちの会社があるエリアはオープンマインドで、若い人たちが失敗しても許すようなおおらかさがあります。大きな農業法人もいくつか育って、そこからのれん分けした農家がまた規模を拡大している、そんな土地柄です。よそ者が入りにくいという状況をどうやってITや仕組みで解消していくかが、日本の農村を守るキーポイントだと思います。

三菱総合研究所 山本奈々絵
山本 奈々絵(やまもと・ななえ)
京都大学大学院工学研究科都市環境工学専攻修士修了後、三菱総合研究所(MRI)入社。食農分野のコンサルティング業務、政策立案支援等に従事。2021年から食料システムと環境サステイナビリティに関する独自研究提言に参画。

他分野との連携・融合が食農の課題解決に不可欠

加藤 私たちが今のポジション、社会的な役割の中でやらなければならないと思っているのは、きちんと流通のサイクルをつくることです。今はまだつくる人から使う人までしかつなぐことができていません。これを食べる人までつなげることで、バリューチェーンではなくバリューサイクルになります。信頼関係のサイクルが回る仕組みは、まだ道半ばです。

ただし「やさいバス」は、地域でブロック的に展開していける事業です。今、海外からも引き合いがあります。「やさいバス」を軸にグローバル展開し、バリューサイクルはきっと海外のほうが早いので、これを逆輸入するという事業構想を描いています。そのうえで、先ほどの共助コミュニティに関しても、新しいコミュニティのあり方を実現するお手伝いをしたいですね。

スマートシティのような完全自動化ではなく、コミュニティに属したことで皆がハッピーになる仕組みです。「やさいバス」をベースに、ロボットやITシステムなどをつなげながら、最終的には人がコミュニティに入りやすく脱退もできる、行き来がフリーになるような仕掛けができたら、農村の共助コミュニティが新しくアップデートされると思っています。

山本 食農は生きるために欠かせない営みです。必要な量・品質を確保し、届けていくのがコアの領域だとすると、その周辺には、例えば土地を生かしてエネルギーをつくるソーラーシェアリングや、観光といった融合領域があります。

MRIでは、食農分野が人間生活の基礎であるからこそ、多くのビジネス領域との親和性・連結可能性が非常に大きいと考えています。環境負荷の低減が求められたり、担い手が減っていったりするといった社会課題に対応しながら食料をつくっていくためには、他分野との連携・融合が不可欠です。

また、この連携・融合はビジネスチャンスにもなりえます。人材不足や高齢化は、日本だけでなく海外でも今後必ず直面する問題ですから。日本でよい仕組みをつくることができたら、それを海外にもっていくこともできるでしょう。そこに可能性を感じて農業参入を検討している企業などの仲間を増やし、ぜひその取り組みを支援していきたいと思います。

●関連ページ

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※この対談は、『フロネシス24号 未来社会への新胎動』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。