人と人との信頼関係でつむぐ「食農×IT」・前編 環境負荷の低減は食農の大きなテーマに

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
エムスクエア・ラボ 加藤百合子氏 三菱総合研究所 山本奈々絵氏
写真右/加藤百合子氏(エムスクエア・ラボ代表取締役社長)
写真左/山本奈々絵氏(三菱総合研究所 経営イノベーション本部 ヘルスケア・食農グループ 兼 政策・経済センター)
低い労働生産性、複雑な流通網、新規参入が難しいといった問題が指摘されてきた日本の農業に、生産者の高齢化による生産力の減少や、地政学的リスクおよび気候変動リスクの高まりに伴う「食料安全保障」が新たなテーマとして加わってきた。これらの課題解決につながる新たな変革を起こそうとしているのが、エムスクエア・ラボ代表取締役社長の加藤百合子氏だ。地産地消型の新たな流通の形を開拓する一方で、農業ロボットの開発などにも積極的に挑戦する。三菱総合研究所(MRI)で食農分野のコンサルティングや政策提言などに携わる山本奈々絵氏が意見を交わした。

環境負荷に対する危機感から創業

山本 2014年ぐらいだったと記憶していますが、加藤さんと、農林水産省の農業ロボットのプロジェクトでご一緒させていただきました。それから約10年、取り組みを続けていらっしゃいますね。

加藤 政府としても「農業ロボット元年」といった年だったと思います。私はもともと、環境や食の問題に関心があり、大学では農学部を選びました。結婚して静岡に来て子どもが生まれる前までは農業システムの研究開発、つまり工業系の仕事をしていたのですが、子育てする中で改めて食や農業の価値を実感し、農業本来の課題解決に挑みたいと思うようになったのです。エムスクエア・ラボを創業した際のコンセプトは「開け!日本の農業。」でした。あまりにも閉じられた農業界が、このまま閉じていたら本当に滅びてしまうと思って、おせっかいにも「開け!日本の農業。」と掲げたのです。

私は農学部で学びましたが、産業機械などエンジニアリングが専門です。そこで、最初はロボットやシステムをつくることで何かできないかと、技術ありきで考えていました。ところが、実際に農家と一緒になって開発を進めるうちに、それが役に立たないことがわかってきました。ロボットを入れる以前に、よいものをつくったらお金になって返ってくる仕組みが必要だったのです。

山本 三菱総合研究所(MRI)は食農をめぐる環境と安全保障は重要なテーマだと捉えており、オリジナルの研究・提言活動を行っています。

食料安全保障上の懸念は大きく2つあります。世間一般では、食料自給率などの足元の数字に注目が集まりがちですが、実のところ、最も本質的な問題は「長期的な地球環境対応の問題」です。

19世紀以降、化石エネルギーと化石資源を大量に消費することで食料の増産が可能になり、世界の人口爆発が始まりました。このまま、これまでのペースとこれまでのやり方で、人口増加に合わせた食料増産を続ければ、地球がもたなくなります。その結果として万が一、地球環境問題が世界の食料生産量に影響を与え始めるような事態になったときには、もう一つの問題「日本の国内生産力」が本当の意味で問われる事態になってきます。現在の食料自給率の数%の増減で一喜一憂すべきではありませんが、われわれの推計では、2050年には農業経営体数は2020年比で8割減少、生産額は半減する見通しです。その時点において、世界の食料生産の不安定さがより増している可能性があるとしたら、これは大変な問題になるかもしれません。2050年に向けて、日本の農業生産のあり方を大きく見直していく必要があります。

環境負荷の低減についても、生産者、流通、消費者の各構造を変化させることで、どれだけ温室効果ガスを減らせるのか、MRIではシナリオを描いて提言も行っています。

政府も食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立を目指す「みどりの食料システム戦略」を2021年5月に策定しています。これは2050年に向けた、なかなか挑戦的な目標設定だと話題になりましたが、加藤さんはどのように見ておられますか?

加藤 目標を掲げないよりは明示するほうがはるかによいでしょう。同戦略では2050年までに「農林水産業のCO2ゼロエミッション化の実現」や「有機農業の取組面積の割合を25%に拡大するといったことを目指す」としています。とてもよい方向性だと思います。

ただし、実施方法には疑問があります。この施策は、何か新しいことをやらないと補助金が出ません。これまで数十年、オーガニックの茶農園をやってきた生産者などはなかなかサポートされない仕組みです。一方、中には補助金欲しさに形だけ整えるような生産者もいます。

現実的に、行政にできるのはそこまでかもしれません。本来は、農家自身が、自分たちも環境負荷をかけているということを意識しながら取り組まなければならないのです。でも、ほとんどの農家は、そこまで負担をかけているとは思っていませんし、消費者も農業にクリーンなイメージを抱いています。

エムスクエア・ラボ 加藤 百合子
加藤 百合子(かとう・ゆりこ)
千葉県出身。東京大学農学部で農業システムの研究に携わり、イギリス・クランフィールド大学で修士号取得、アメリカに移りNASAのプロジェクトに参画。帰国後、結婚を機に静岡に移住し、産業用機械の研究開発に従事。2009年エムスクエア・ラボを設立し現職。

食べる人とつくる人の信頼関係が重要

山本 食農は自然資本がなければ成り立たないにもかかわらず、自分たちでそれを壊してしまっています。日本は少子化で人口が減るので環境負荷も下がるのではという考えになりそうですが、実際には食料の多くを輸入しています。例えば海外の生産地で気候変動などによって、作物の収穫量や品質が影響を受けるといったことが考えられますが、日本もその影響を受けるのは同じです。

日本の農業のゼロエミッションを実現するためには、消費者の意識の変化も大事だと思います。スーパーの店頭には旬の時期以外でも、色とりどりの果物や野菜が並んでいます。私たちはそれを当たり前のように享受しているわけですが、そのためのハウス栽培での加温などのためにCO2を排出しているわけです。もちろん、季節にかかわらずさまざまなものが手に入るということ自体はすばらしいことですし、やめるべきと言いたいわけではないのです。再エネを利用することなども考えられます。他方で例えば、旬のものを旬の時期に食べる旬産旬消が環境負荷の低減につながるといったことを消費者が購入時に意識することが持続可能な食料システムにつながります。それを「知らない」と「知っている」との間には、大きな隔たりがあると思うのです。コミュニケーションを通じて、認知の向上と行動へ結び付けていくことが必要だと思います。

三菱総合研究所 山本 奈々絵
山本 奈々絵(やまもと・ななえ)
京都大学大学院工学研究科都市環境工学専攻修士修了後、三菱総合研究所(MRI)入社。食農分野のコンサルティング業務、政策立案支援等に従事。2021年から食料システムと環境サステイナビリティに関する独自研究提言に参画。

加藤 なかなか難しいところですね。欧州やアメリカ・カリフォルニア州の一部の消費者のように、環境意識が高い消費者が多い場合はそれも可能でしょう。私は「このままだと世界がCO2で窒息してしまう」というくらいの恐怖心で農学部に進学しましたが、あおるだけではなく、それを経済活動の中にうまく組み込んでいかなければなりません。

具体的には、環境負荷の問題をお金に換えることが必要です。「この生産者がつくった野菜を買うといいことが起きる」と感じてもらい、多少高くてもそっちから買おうと思ってもらわないと。

ただ環境負荷の低減は長期的なテーマですから、今すぐ自分に返ってくるものではありません。コロナ禍で一時、健康や食について考える消費者が増えたような兆しはあったのですが、喉元を過ぎたからか、また元の状態に戻ってしまいました。

山本 われわれの生活者調査でも、コロナ禍で若干、SDGsに対する関心が高まったという結果が出ています。欧州では食事を植物性のものに切り替えるといったように、食生活をサステイナブルなものに変えようという動きも起きています。ところが日本では、そこまでいきませんでした。コロナ禍であっても、サプライチェーンの努力によって、おおむねこれまでと同じように高品質なものをリーズナブルな価格で食べることができ、維持できたからだと思われます。

加藤 実は、そのサプライチェーンが日本の食農の課題でもあり、私は信頼関係の分断がいちばんの根っこだと思っています。現代では、効率化と分業化が進み、食べる人とつくる人の距離が物理的に離れていますよね。ただ、「食」という、命にすら関わりかねないものを、見ず知らずの人に託してよいのだろうかという疑問はやっぱりどこかにあります。サプライチェーンとしてつながるだけでなく、食べる人とつくる人の信頼関係をベースにしないと、農業は成り立たないと思うのです。

私たちが「やさいバス」の事業を始めた理由もそこにあります。「やさいバス」は農産物の小規模物流を効率化するための共同配送システムで、生産者が農作物を集荷場にもっていき、保冷車のトラックが集荷して目的地に届ける仕組みです。中小ロットのものでも、つくり手である農家の利益が増え、買い手の支払いも高くならないようにしていますが、この事業が成り立っているのは、そもそもつくり手と買い手の距離が近く、信頼関係が生まれるからこそです。

「やさいバス」は今のところB2Bで、購入いただくお客様は飲食店、スーパーマーケットなどの小売店、食品卸などです。農家は「やさいバス」を利用することで、農作物を高く買ってもらえるようになります。大手流通と取引をしようとすると、どうしても単価を下げざるをえません。「やさいバス」なら多様な売り先があるので、農家が売りたいと思う値付けができるのです。(後編に続く)

●関連ページ

環境対応から始まる食農イノベーション

【提言】世界の持続可能な食料システムに向けて

農業基本法改正の方向性と課題

三菱総合研究所の食農ビジネス支援

>>後編はこちら

※この対談は、『フロネシス24号 未来社会への新胎動』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。