人的資本経営のカギは「転職潜在層」との接点強化 「人材プール」の構築が採用力に差をつける
揺らぐ「安定」の定義。若年層が抱くキャリア観のトレンド
――2023年6月に、政府が労働市場改革を進める方針を打ち出しました。リスキリングや成長分野への円滑な労働移動を促進する内容ですが、ビジネスパーソンのキャリア形成の考え方はこれに即しているんでしょうか。
有山 そもそも、終身雇用制が多くの企業で崩壊しており、働く人にとって「安定」の定義が変わりました。昭和時代の安定とは、「企業に雇用され続けること」でした。しかし、令和時代になり、安定の定義は「労働市場の変化に適応するスキルを開発しつづけること」へと変化しています。どの企業や組織に属していようとも、その場そのものが、いつ・どう揺らぐかわかりません。それをよく理解している人ほど、継続的にリスキリングに励んでいます。
――「安定」の定義や仕事のあり方の変化は、コロナ禍で加速してきた印象もあります。
有山 根源的な「なぜ生きるのか」「なぜ働くのか」といった問いに改めてぶつかる人が増えています。リモートワークの浸透も背景の1つとして考えられます。家の中で仕事をすることで、日常生活との空間が統合され、働く意味を見直し、時間の使い方の選択肢が増えました。実際に、私がキャリア相談を受けていると、転職によって「何を実現したいか」よりも「どのような働き方を実現できるか」を重視する方が増えている印象です。
――こうした変換の中では、会社側が人材を獲得するうえでもこれまでどおりのアプローチでは苦戦しそうですね。
有山 おっしゃるとおりです。昭和時代の関係性は「会社の指示に労働者が従う」という隷属的な構図でした。ゆえに、労働者に求められていたのは、会社の命令系統に基づき、指示された仕事を遂行することでした。しかし、令和時代は「会社と労働者はパートナーとして選び・選ばれる」構図へと変化の兆しを見せています。ビジネス環境や消費者ニーズの変化が激しい現代に、トップダウンの命令系統で動かしていては、環境の変化についていけません。
採用候補者も「関係性」に着目する人は増え、関係性の再構築は急務です。変化に対して柔軟に適応するために必要なのは、「会社と従業員の関係性を変えること」ではないでしょうか。
隷属的なつながりはもう古い。人材と企業の関係性刷新へ
――人材の採用やキャリア形成に関して、経営者が担うべきことは何でしょうか。
有山 経営者は経営戦略と連動した人材戦略の実現を目指し、必要な人材を明確に定義することが重要です。例えば、最近は生成AIのビジネス利用が加速しており、数年前には存在しなかったプロンプトエンジニアという職種の人材が登場し、高給で雇用されています。
では、自社のビジネス戦略上、プロンプトエンジニアが必要なのか、必要であるならば、従来の雇用形態や給与水準の考え方を変えて雇用する覚悟はあるのか、そうした検討を素早く進めなければ、世の中の流れに後れてしまいます。そうならないためにも、まずは必要な人材の定義に積極的に関与するべきだと思います。
――では、CHROや人事部門トップについてはいかがでしょうか。
有山 人事部門トップに関しては、人材との新たな関係性の構築に取り組むべきだと考えています。例えば、アルムナイ(退職者)とコンタクトを取り続け、人材リソースとして組織化し、場合によっては再雇用する「アルムナイ制度」があります。こうした制度は、外資系企業では珍しくありませんが、日本企業で制度化しているケースは少ないです。退職者を「裏切り者」だと考えるのか、長期的にいい関係性を構築しようと考えているのか、アルムナイ制度の有無一つ取っても、その企業のスタンスが透けて見えます。したがって、人材と柔軟なつながりを持てるような制度を検討することが重要です。
――そのためには「組織開発」を実践する必要がありそうです。
有山 実際、多くの企業で人事部門に組織開発を担える人がいない状況は、早急に解決するべきです。人材流動性が高まっているため、人事部門は人材と組織の開発をセットで進めるべきです。そうすることで、持続的に従業員エンゲージメントを高める施策につなげていく。そういう発想が、令和時代の人事部には不可欠です。こうした関係性の変化を踏まえて、持続的に従業員エンゲージメントを高める施策を打ち出すことこそが、令和時代の人事部に求められています。
多角的な情報戦略と接点強化で転職潜在層のプール拡大へ
――人的資本経営を実現するうえで、採用のフェーズで重視するべきことを教えてください。
有山 企業の環境や経営戦略の変化に合わせて、人材ポートフォリオを動的に管理できるように、人材を柔軟に確保できる採用体制を整えておくことです。人的資本経営では、現在所属する社員の育成やリスキリングが優先事項となりますが、同時にビジネスの変化に応じて、必要な人材を絶やさないようにプールしておくことも重要です。
そのための手法として、多種多様なHR関連サービスがありますが、少し前までは転職顕在層に対するサービスが主流でした。ただ、近年はSNSや求職者の情報を集めるプラットフォーム、口コミサイトなど、ネット上の情報発信ツールを自社で使い倒して、転職潜在層へのアプローチを強化する企業が増えています。さらには、スカウティングサービスに一任せずに、自前でダイレクトリクルーティングを実施している企業もあります。優秀な人ほど、複数の情報ソースに目を通し、企業からのアプローチも受けながら、「いい企業があれば転職しよう」という気持ちで検討しています。
したがって、企業に求められるのは、複数のツールを活用し、転職潜在層との接点を持ち続けながら、自社のパーパスや事業を理解してもらえるように努めることです。それが、動的な人材ポートフォリオを構築するために必要な人材のプールを絶やさないことにつながります。採用ブランドの強化は、未来の企業価値向上につながるでしょう。
有山 徹氏
プロティアン・キャリア協会代表理事/4designs 代表取締役CEO
早稲田大学卒業。大手食品メーカー、経営コンサルティングを経て、2019年、数度のキャリアチェンジをした自らの経験を生かし、キャリア支援サービスを行う4designs株式会社を設立。
20年、法政大学の田中研之輔教授とともにプロティアン・キャリア協会を設立、代表理事に就任。著書に『新しいキャリアの見つけ方 自律の時代を生きるプロティアン・キャリア戦略』(アスコム)