ナイキが証明!「政治的に正しい方が儲かる」理由 「意識高い系」と「意識低い系」の2つの資本主義

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初発の動機は善良であるが、これだけの規模の慈善事業を担うことのできる国家が見当たらない場合、彼らは国家の代理をつとめることになるということである。

「ウォーク資本主義の下では、社会的不公正や貧困の解決をもう国家に頼ることができない。そこで、社会はご主人さまの食卓から落ちてくるパンくずという慈善に頼ることになる」(291頁)。

資本主義はひたすら貧富格差を拡大している。今、世界の人口の1%に当たる超富裕層が世界の富のほぼ半分を所有している。「世界で最も裕福な10人の富の合計は7460億ドルとなる。これは、スイス、スウェーデン、タイ、アルゼンチンのそれぞれの国のGDPよりも多い」(106頁)。

世界ははっきりと超富裕層とそれ以外に二分されてしまった。そして、この超富裕な資本家たちが「資本主義を道徳的に裁定する者として自らを位置付けている」(110頁)。つまり、彼ら資本主義企業の所有者たちは「公共の福利とは何であり、そのために何をなすべきか」の決定権を国家から奪ってしまったのである。もう選挙によって代表を選ぶというような面倒な手間をかける必要はない。彼らに政策実現をお願いすればいいのである。それが聞き届けられれば、民主主義を経由するよりはるかに迅速かつ確実に「公共の福利」が実現する可能性がある。

もちろん、条件がある。「彼らに絶対に損はさせない」という条件である。彼らが超富裕であり続けるシステムそのものには決して手をつけないという条件さえクリアーすれば、彼らは気前よく金をばらまいてくれる(はずである)。
「つまりは、億万長者の贈与は、そもそも彼らを億万長者にしたシステムに根本的な変化が起きないようにすることと、引き換えなのである」(292頁)。

世界のトレンドから遅れている日本の資本主義

2019年の香港の民主化闘争のとき、NBAのヒューストン・ロケッツのGM、ダリル・モーリーは抗議デモを応援するメッセージをツイートした。「自由のために闘おう。香港とともに立ち上がろう」と。このツイートを不快に感じた中国バスケットボール協会はこの「不適切な発言」に強く反対して、チームとの交流と協力を停止すると発表し、中国中央電視台はロケッツの放送を禁止した。NBAは40億ドルと言われる中国ビジネスを守るためにモーリーの発言を謝罪するという道を選択した。

「NBAと中国の騒動ではっきりしたのは、いざというときには、ウォークな資本家にとって第一の動機は経済であり、政治はそれが経済を支える場合にしか価値がないということだった」(305頁)。

これが著者カール・ローズのウォーク資本主義に対する最終的な評価の言葉である。

以上、本書の所説を紹介してきた。最後に少しだけ私見を書きとめておきたい。

本書を読んで、私はちょっとアメリカが羨ましくなった。というのは、わが国には「ウォーク資本主義」がまだ登場していないからである。「まだ」というより、これからも登場しないような気がする。日本の資本主義はナイキが戦った当の相手であるドナルド・トランプが代表する「新自由主義」的資本主義の段階にいまだあり、そこから先へ進むようには見えないからである。

本書巻頭解説で、中野剛志氏は、ウォーク資本主義の萌芽的形態が日本にも現れてきたことを指摘しているけれど、私は日本については「ウォーク資本主義が民主主義を滅亡させる」ことをそれほど気に病む必要はないと思う。日本の民主主義を今滅亡させつつあるのは新自由主義者たちの「意識低い系」資本主義のほうであり、たぶんこちらのほうが手際よく日本の民主主義に引導を渡してくれると思う。

むろん、そのことは本書の価値をまったく減ずるものではない。本書がわれわれに教えてくれる最も貴重な情報は、日本にはウォーク資本主義が出現する歴史的条件が整っていないという事実である。日本の資本主義はアメリカのビジネス書がもうリーダビリティを失うほどに世界のトレンドから遅れているという事実である。

内田 樹 思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授

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うちだ・たつる

1950年東京都生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。凱風館館長、多田塾甲南合気会師範。著書に『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書、第6回小林秀雄賞受賞)、『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の天皇論』(東洋経済新報社)などがある。第3回伊丹十三賞受賞。

 

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