日本担う「大学発スタートアップ」創出するには キーマン提言「大学の知財で社会課題解決へ」
日本には起業家の失敗を許容する文化が必要
グローバルの大手会計事務所「Big4」の1つKPMGのメンバーファーム・あずさ監査法人は、2019年にインキュベーション部を設立。専門性の高いIPO経験豊富な専門スタッフが、会計や監査でスタートアップを支援してきた。
サポートの対象には大学発スタートアップも含まれており、教授や学生の革新的な技術やアイデアの発掘、人と人をつなぐ場を創出するインキュベーション活動などを展開している。
こうした経験を基に、同法人は大学発スタートアップを取り巻く知財の事業化などのヒントをまとめた書籍『実践インキュベーションー大学発スタートアップ・エコシステムへのインサイト』を上梓した。
著者の一人である阿部博氏は、公認会計士として大手企業を数多く担当してきた監査のプロだが、起業家の熱意と日本を変える企業を生み出す一助になりたいという思いを原動力に、インキュベーション活動の旗振り役を担っている。阿部氏は大学発スタートアップの支援をする中で見えてきた課題について、こう考察する。
「日本の企業は日本人同士でチームを組むことが基本。片や米国は多様性に富んでおり、誰であろうとよい技術とアイデアを採用する文化があります。大学発スタートアップの創出には、人の縁と資金が循環するエコシステムが不可欠。日本もグローバルで企業とスタートアップの経営者の結び付きを増やすことができれば、成功を手繰り寄せられるはずです」
とくに阿部氏が日本の大学の強みだと考えているのが、半導体、宇宙開発、創薬、AIなど高度な先端技術と問題解決力を秘めた専門的な技術(ディープテック)だという。だが、ユニークな種があっても、大きく花開かせる力が弱いと指摘する。
「米国はスタートアップへの資金投入にスピード感があり、教授や学生が事業を手がけることが当たり前です。また、もし事業化に失敗しても、大学に戻れる体制が整っていたり、失敗を糧に次の挑戦ができたりする風土があります。一方、日本は資金投入が遅く、かつ失敗を許容しないような感覚がある。それは社会の空気感にも通じているので、変えていくべきだと考えています」
【東京大学】
日本の大学発スタートアップの現在地
大学発スタートアップの設立数で日本トップ※1を走る東京大学は、2004年の国立大学法人化以降、起業家教育や起業を支えるインキュベーション施設の整備に注力してきた。東大関連のスタートアップ企業は毎年30~40社のペースで設立。トータル478社(22年3月末時点)※2を超えており、その数は圧倒的だ。
中央官庁や大企業に人材を輩出してきた東大だが、近年は進路として起業を選ぶ学生は間違いなく増えている。起業の種を発芽させる土壌を整えてきたキーマン、各務茂夫氏(かがみ・しげお/東京大学大学院工学系研究科教授、産学協創推進本部副本部長)は変化についてこう語る。
「起業家育成プログラム『アントレプレナー道場』を立ち上げた05年当時と比較すると、現在は東大の中にある広義で捉えた起業家養成プログラムは56まで増えました。道場出身の起業家も増え、ユニコーン企業(企業価値の評価額が10億ドル以上、設立10年以内の非上場企業)まであと一歩の企業も複数存在します。起業家の先輩が道場に講師として戻ってきて、経験を語ったりメンタリングに携わったりしてくれることも次世代の起業家育成に好影響をもたらしています」
これまで日本の経済の担い手は大企業であり、新たなイノベーションの出発点は大企業内の中央研究所等の研究開発組織だった。しかし今、産業発展が初期段階だった頃のように、大学にはかつてのようなイノベーション創出の役割が求められているという。
「戦前、東大教授の池田菊苗先生の研究によって食材のうま味成分が発見されたことが、現在の大手食品会社の創業につながったのですが、今まさに、その頃のように、大学は研究成果や技術を掘り起こし、社会に還元することを期待されています」
米国と比較すると、日本はエンジェル投資家の存在感やリスクマネーの供給に後れを取るなど、大学発スタートアップの萌芽を阻む壁もある。東大ではこの課題に対して、産学協創推進本部、資金面を支援する東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)、東京大学協創プラットフォーム開発(東大IPC)、特許や発明のライセンス化のサポート組織である技術移転機関の東京大学TLOの4者の連携で、大学発スタートアップの創出を支えている。
そして今、デジタルネイティブ世代の台頭により、存在感を発揮する大学発スタートアップが勢いをもって生まれる兆しを感じていると各務氏は明かす。
「日本では先の大戦の前後に、現在の日本を支える大企業が出てきました。歴史を振り返れば、日本がアントレプレナーシップ大国だったことは間違いありません。現在、理系文系を問わず、スタートアップのインターンシップに参加する学生も増えています。若い世代への起業家教育と、先輩起業家を交えたエコシステム形成により、20年先の日本経済を主導するスタートアップの創出につながると確信しています」
【Greater Tokyo Innovation Ecosystem】
大学の枠を超えたエコシステムの連帯
大学の連携によって、大学発スタートアップの創出を目指す機運も高まっている。その拠点となっているのが、東京大学・東京工業大学・早稲田大学が主幹機関の首都圏イノベーションエコシステム(Greater Tokyo Innovation Ecosystem:GTIE/ジータイ)だ。GTIEを立ち上げたキーマンの一人で、東京工業大学イノベーションデザイン機構 機構長の辻本将晴氏は、こう説明する。
「GTIEは世界を変える大学発スタートアップの育成に向けたプラットフォームで、チーム形成支援、アントレプレナーシップ人材育成プログラム、GAPファンド、大企業との連携支援などの包括的な支援策を講じています。特筆すべきは連携規模の大きさです。中心となる14の大学と、それらの大学以外にも東京都をはじめとする自治体や、ほかに13の大学および民間企業や支援機関、70社ほどの事業者や金融機関、ベンチャーキャピタルなどがタッグを組んで、大学発スタートアップを支援しています」
理工系総合大学の東工大は、生命工学から宇宙まで幅広い分野の研究を手がけており、社会課題の解決に結び付く種が豊富だ。この素地を生かすべく、かねて組織的に産学連携の推進に取り組んできた。
現在、東工大発ベンチャーは145社超※3。22年にはイノベーションデザイン機構を新設し、学内では東京・田町のキャンパスにインキュベーション施設(INDEST)を整備。研究やアイデアの社会実装に向けて厚い支援を推進している。
その中心にいる辻本氏は、経営戦略論・組織論の研究者でもあり、大学発スタートアップの創出を目指すエコシステムは、1つの大学の枠内という単一の属性では限界があると提唱。東京大学や早稲田大学をはじめ、各組織で志を同じくするキーマンとの連携でGTIE設立へと至った。
「大学のディープテックには、人類がまだ見たことがないような技術も含まれています。マーケットが不透明なケースも少なくないので、大学の枠を超えてネットワークを構築し、専門性の高い人に参画してもらいながらプラットフォームを大きくすることが重要だと考えています」
【東京大学エッジキャピタルパートナーズ】
研究を事業化に結実させる資金調達の策
大学発スタートアップの成功には、研究やアイデアの創出だけではなく、試作品の製作やテスト販売を行うプロセスも必要だ。しかし、このプロセスには膨大な資金や時間を要するため、多くのスタートアップはここでふるい落とされる。この事業化に立ち塞がる障壁は、ときに「魔の川」と表現されることもある。
昨今は、政府の大学10兆円ファンド創設など、魔の川現象を乗り越えるための支援も充実してきている。一方で、「お金をつけるばかりでなく、いかにその資本、加えて人材やナレッジを循環させるかの議論が重要」と語るのは、創業前からIPOやM&Aまで成長ステージに応じた投資や支援を行う、東京大学エッジキャピタルパートナーズ(The University of Tokyo Edge Capital Partners Co.,Ltd.:UTEC/ユーテック)の取締役COO坂本教晃氏だ。
「スタートアップが成長し続けるためには、ファンド側は単にお金を供給するだけではなく、EXITを通じて投資家に対してリターンを出し、その投資家がまたVCにお金を出すという、資本の循環を生み出していく仕組みを作っていくことが重要です。スタートアップに対してはIPOやM&Aをサポートし、投資家に対してはしっかりとリターンをお返しすることで、『VCに出資したら、お金が殖えて戻ってくる』と投資家に証明し、『日本のベンチャー投資というアセットクラスは継続的に有望である』と認めていただくことが重要だと考えています」
UTECは東大発ベンチャーキャピタル(VC)として2004年に設立されて以来、医学や薬学、経営まで幅広い分野の専門家のチームを組み、140社以上のスタートアップに投資。同社が関与した企業のうち、19社が株式上場、20社がM&Aに至っている(22年12月時点)。UTEC1号から5号ファンドまでの累計額は約850億円にのぼり、年々サイズはスケールアップしている。
日本の大学発VCの先駆的存在であるUTECだが、日本の将来を担うような強いスタートアップを増やすために必要なことについて、坂本氏はこのように語る。
「米国と比較して、日本のVCのパフォーマンスは決して劣っているわけではありません。一方で、サイズに関してはまだまだ圧倒的な差があります。ただ、よい流れとして、昨今はこれまで大企業やプロフェッショナルファームなどを選んでいた優秀な人材が、ベンチャーにチャレンジしてくれるケースも次第に増えているように感じています。今後さらに多くの優秀な人材がスタートアップの周りに集まり続ければ、パフォーマンスも出続け、資本も循環し、日本のスタートアップ業界にはさらに勢いが出てくるものと確信しています。そのためには、多額の研究開発費を有する大企業とのコラボレーションも欠かせません。昨今は新規事業の糸口を模索している企業が多いので、Winwinの関係を築いていけるのではないでしょうか」
コミュニティと教育で挑戦を後押しする
「大学発スタートアップの創出と成功において、ヒト・モノ・カネの三大資源を獲得する必要があります」と語るのは、世界中の起業や投資家が集うイノベーションコミュニティを創出しているCIC Japan プレジデントの山川恭弘氏だ。
1999年に米マサチューセッツ州で創業したCICは、起業家の挑戦をアシストするため、イノベーションが生まれるコミュニティを形成。24時間365日利用可能なプライベートオフィスやコワーキングスペースなどのハード面の支援をはじめ、多くの研究機関やスタートアップが集う米ボストン地域のネットワークを生かして、日本のディープテックをはじめとしたスタートアップの国際展開をソフト面で支援している。
こうした「つながりの支援」の価値について、山川氏は社会関係資本(ソーシャルキャピタル)がビジネスの成功を左右する中、助け合える関係を構築する一助になると説明する。
「情熱とビジョンを持つ起業家に必要な支援やリソースを供給する、あるいは背中を押すメンターやアドバイザーを見つけるといった化学反応を起こすためには、コミュニティの存在は不可欠です。米国では、コミュニティの規模もフェーズも多様。私が教鞭を執るバブソン大学では、年間を通じてピッチイベントや、アクセラレーションプログラムがいくつもあります。また、起業家を目指す人のために特化した学生寮もあり、入寮の競争率は非常に高いです」
日本はコミュニティの乏しさや知識偏向型の教育、「協調性を重要視する文化」などの複合的な要因から、米国ほどは「挑戦の空気感」が醸成されていないと指摘。一方で、コロナ禍以降に大きなパラダイムシフトが起きるのではと山川氏は期待を込める。
「日本人はこれまで辛抱していれば国が助けてくれるというマインドセットだったと思いますが、コロナ禍で自助の重要性を痛感したはずです。また、若年層では一部、上場企業の経営者よりも、強い個性で活躍しているインフルエンサーを尊敬する傾向も見られます。自分たちで何かを起こさなくてはと、一歩踏み出す起業家的思考と行動法則が日本の若年層を中心に浸透してきたように感じています。こうしたマインドの変化をコミュニティの面から後押ししていきたいです」
監査法人のインキュベーション活動の展望
ビジネス経験不足の研究者や学生の起業の難しさや、ディープテックの場合は実用化に資金や時間がかかることなど、成功に至るまでの壁は少なくない。
あずさ監査法人は、そうした壁を乗り越える支援を展開。これまで数多くの大学でシンポジウムの開催や大学へのメンター派遣で貢献してきた。阿部氏は「KPMGのグローバルネットワークや起業家のエコシステム、そして本業の監査で大学発スタートアップの成長を支えていきます」と抱負を語る。
既成産業と異なる革新的な製品やサービスを生み出す可能性を秘めており、破壊的イノベーションを期待されている大学発スタートアップ。日本の産業構造の変革を促し、世界的にプレゼンスを発揮する企業の誕生を期待したい。
※1 経済産業省「大学発ベンチャーデータベース」https://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/univ-startupsdb.html
※2 東京大学
https://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/content/400104360.pdf
※3 東京工業大学
https://www.idp.ori.titech.ac.jp/wp-content/uploads/2023/04/venture_leaflet_2023.pdf