公園の池の水抜いたら「死の池」に…衝撃の実態 魚が消え、鳥が来なくなった意外な原因
ところが、生物は全部保護しなければならないかというと、反論もあります。役に立つ生物だけいればいいという考え方です。それに対し、役に立たない生物は絶滅していいのか、と怒っている人はいっぱいいます。かわいいものだけしか保護していない動物愛護も、批判の対象になります。
また、希少な動物はワシントン条約などで保護されていますが、これは単に「いなくなるのが寂しい」「昔はよかった(昔はたくさんいたのに今はそうではない)」という論理と同じではないか、という批判もあります。
先ほど述べたように、現在の生態系が現在の地球環境に最も適応したものですから、なんでもかんでも「昔はよかった」というのではよくないのではないかという考えも出てくるわけです。
しかし、生態学者はそういう考え方に対して反論します。なぜかというと、昔から続いてきた生命の営みを断ち切ることはできないというのです。つまり、生物が多様だからこそ食物連鎖がちゃんと行われるのであって、そのうちの生物が一つでもいなくなると困る、という論理です。ところがそれなら、すでに生態系の一部となっている外来種だけを駆除していいのか、ということになります。
一般人を感化するにはどうしたらいいかというと、情緒に訴えることが非常に大事です。「昔は良かった、自然がいい」と言うと、みんなだいたい賛成してくれるのです。あるいは「環境にやさしい」と言うと、みんなもろ手を挙げて賛成してくれます。しかし、本当にそれでいいのか。ときには「それは単に研究費を取って学者が生き残るための方便なのではないか」という批判的な視点を持つことも、科学リテラシーの重要な一部になるのです。
「生物多様性、大事ですね」「里山、大切ですね」など、みんなが唱えている標語のことを「錦の御旗」と言います。この錦の御旗を与えると、みんな喜んで乗るんです。だから、同じように「外来種を駆除しましょう」と言うと、おおよそみんな乗ってくるのですが、考えてみると外来種だって生物です。自分で無理やりその場所に来たのではなく、持ち込まれた場所で必死に生きているだけなのです。だから、そういう2つの別々の考えがあるものを皆さんで議論して、どうしたらいいかを決めることが重要なことなのです。
自然エネルギーの落とし穴
自然エネルギー(再生可能エネルギー)もすごくいい言葉の響きを持っています。再生可能エネルギーというのは、地熱、潮力、太陽光、風力、バイオマス、こういう自然を使ったエネルギーです。
例えば、太陽光発電を考えてみましょう。メガソーラーといって広範囲にわたって太陽光パネルを敷くと、太陽の光だけで電力が得られるので非常にいいのではないかと最初は考えられたわけです。これは環境にやさしいですね、と。石炭や石油を燃やさなくても済むわけです。タダの太陽の光が使える。だからある人は、町一面に太陽光パネルを敷いたらどうかとか、ひどい人は、サハラ砂漠一帯に太陽光パネルを敷けばいいじゃないか、とも言ったのです。エネルギーの元がタダだからです。
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