2足歩行とともに、人類を「人間らしくしたもの」に「言葉」がある。
では、言葉とは何か? 考え出すと意外に難しい。
小鳥はさえずり、犬はほえる。「言語を持つのは人類だけだ」というのは、小鳥のさえずりを解さず、犬のほえ声を聞き分けられない人類の怠慢にすぎない、という主張もある。
一方、人類の使用する言語は多種多様、民族や地域によって異なる。その多様性や違いに着目して、「言語を持つのは人類に共通の特色」という見解に疑問を呈する向きもないではない。
だが、言語学の長年の研究では「完全な音節を持ち、一定の文法を持つ言葉を話せるのは人類だけ」とされている。
小鳥のさえずりや犬のほえ声には、感情の発露や警戒の呼びかけはあっても、音節と文法を用いて複雑な意思表示のできる仕組みがあるのは人類の発する言語だけだ。
人類の言葉には、文明の発達の度合いによって、言葉の不足や単語の欠落はあっても、音節があり文法があることには変わりがない。だからこそ人類は民族にかかわらず言葉を話せ、意思を細かく疎通できるのである。
逆に人類以外のものは言葉を持たない。犬や猫は、人間の態度や表情を読んで反応する能力はあるが、言葉を発し議論することはできない。オウムは人間の言葉をまねることができても、自ら言葉を考え出せない。
言葉を操れるかどうかは、人類とそれ以外の動物を分ける分水嶺である。
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