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キャリア・教育 #採用クライシス

就活ルール見直しの系譜 90年間に及ぶ繰り返し

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  • 平野 恵子 文化放送キャリアパートナーズ就職情報研究所 主任研究員
大学生が就活ルール変更に翻弄されるのは、昔も今も変わらない(撮影:尾形文繁)

就活ルールの報道を見るたび、北原白秋の「この道」の歌詞が頭をよぎる。この道はいつか来た道……。選考時期をめぐる論争は、新卒採用の歴史とともにあり、同じような経緯を何度もたどってきた。約90年に及ぶ繰り返しの歴史を振り返ってみる。

就活ルールの始まりは1928年にさかのぼる。大学生の民間企業での定期採用は17〜18年ごろ定着したため、新卒採用開始から約10年で就活ルールができたことになる。背景には就職活動の過熱による学問軽視があった。大手企業と有名大学が「入社試験は卒業後」との紳士協定を結んだが、それまで苦戦を強いられた中堅・中小企業が自由に採用を行い、守られなかった。

第2次世界大戦で一時中断された新卒採用は、戦後まもなく復活。49年の新制大学設置を機に大学生が急増した。その結果、就職活動の混乱が予想され、52年に文部次官が採用期日の通達を出した。これが就職協定のスタートとなる。しかし、その後の好景気で早々に協定破りが横行。「青田買い」という新語が生まれた。

協定が有名無実化したことで、62年に日本経営者団体連盟(日経連)が、「今年の採用期日は決めない」と就職協定破りの“野放し”を宣言。大学だけの申し合わせとなった。このときも今と同様、東京五輪の2年前。人手不足の深刻化などが現在と符合する。

60年代中頃になると就職情報産業が発達。大学の求人票が主な情報源だった大学主導から、学生主体の就職活動に変化し、採用の自由度が高まった。大学3年生の春休みに内々定を出す企業も現れ、「早苗買い」「種モミ買い」という言葉が使われるようになった。

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