東京・八王子市の郊外に広がる高尾墓園(7500区画)は、宗門をめぐる分裂や対立に翻弄されてきた。もともと墓園は創価学会が1963年に日蓮正宗に寄進。当時、池田大作氏をはじめ学会幹部や一般会員はこぞって墓を買い求めた。学会の墓地ビジネスの雛形だ。
最初の荒波は80年。学会の独自路線に寛容な態度を示していた日蓮正宗に不満を持つ一部僧侶・信徒が、正信会を結成。このとき、墓園を管理する常修寺の住職は正信会に移った。日蓮正宗は離脱僧侶に寺院の明け渡しを求め全国各地で提訴。常修寺でも帰属をめぐり、にらみ合いが続くことになった。
そうこうするうち、今度は学会と日蓮正宗の間で対立が激化、91年に学会は破門される。以後10年以上、互いにののしり合う全面戦争が展開される。この間、99年に日蓮正宗は常修寺の代表役員の座を取り返したが、正信会住職は墓園内の建物で生活を続行。このため日蓮正宗は門前に事務所を設け、参拝者への対応を行う。日蓮正宗の住職は「墓園内の清掃はこちらで行っている」と苦々しげだ。判例に照らすと、墓園を完全に取り戻すのは正信会の住職が天寿を全うした後になる。
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