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去る4月27日、韓国と北朝鮮の南北首脳会談がおこなわれた。この日は明けても暮れても「南北」「板門店(パンムンジョム)」、その喧騒のまま日本は大型連休に入ったので、連休明けの小欄でも、どうやら取り上げざるをえないようである。
とにかくなりふりかまわぬ融和ムードで、南北の半島政権のねらいがよくわかる会談だった。年来、北朝鮮の核・ミサイルで鋭い対立が続き、危機が増大していただけに、もちろん歓迎の声は少なくない。なかでも政府当局者に、そうした発言が目立った。
すべてが本音の吐露ではない
しかし外交辞令ということばもある。誰がみても、すべてが本音の吐露とは思えない。額面どおり受けとめるのは、よほどおめでたい人である。「歴史的会談」ともてはやしたメディアは、どうもその類いに近い。
メディア、とくにテレビは、何とかの一つ覚え、のように決まったフレーズを連呼する習性がある。オリンピックなどの競技でいわく「悲願」、災害時の道路にいわく「寸断」。今回の「歴史的」も、そのひとつかもしれない。語彙が貧しいのだろうが、それを自覚しないほうがよほど問題である。
韓国のメディアは自国のことなので、南北会談を持ち上げるのは、ある意味で当然である。しかもかの地の「言論の自由」は、とても怪しい。政府権力・民間社会との関係も、まるで日本とは異なる。左派メディアは政権と一心同体だし、右派は規制・圧力を受けている。また顧客たる民間の「民族」情緒には逆らえない。金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長への阿諛追従(あゆついしょう)もむべなるかな、である。
そんな韓国メディアの論調、あるいは韓国政府の広報戦略に、外国たる日本のメディアが追随する必要はどこにもない。むしろ、してはならない、とさえいえる。にもかかわらず、「歴史的会談」の連呼では、ウンザリするのもやむをえない。歴史屋にいわせれば、「歴史」はそんなに軽くないからである。
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