今年3月下旬の刊行だから、かなり前の話になる。「清朝の興亡」を書き綴った拙著を、勤め先の同僚に献呈した。さっそくご高覧いただき、「巻措(お)くあたわざる面白さで、一気に読了しました」と特に過分のコメントもくださった。
書き手の冥利に尽きる話で、こう言われると、多分にお世辞とわかっていても、つい自慢したくなる。うれしさあまっての一文、またまたお見苦しい次第、どうかご海容くださりたい。
同僚のいう「面白さ」は、18世紀前半の中国、清朝第五代皇帝・雍正(ようせい)帝の打ち出した行政改革にある。なかんずく「貪官汚吏発生の防止策として」、手厚い勤務地手当を支給し、「『養廉銀』という身もフタもない」ネーミングをしたくだりらしい。
汚職腐敗の防止策
そのためしばらく経ち、浮かれた心も落ち着いてくると、少し考え込んでしまった。手放しで喜んでよいものかどうか。
雍正帝が職務に応じ、「廉潔を養う」ための手当を一律に支給したのだから、部下の官僚たちは、ほとんどが汚職腐敗していたわけである。まったく同僚のいうように「身もフタもない」言い回し、皮肉たっぷりの命名であった。逆にいえば、「養廉銀」という称呼が、何よりも当時の社会状況をよくあらわしている。
雍正帝の改革、それにまつわる史実関係、あるいは「養廉銀」という用語は、わが中国史学では、ごくあたりまえの知識である。おそらく知らない専門家はいない。
同僚はもちろん当代一流の知識人、しかしともに歴史を勉強していても、専門は同じではない。一歩自分のエリアの外に出ると、知らないことばかりなのは、筆者もごく日常的に体験する。そこはお互いさまである。
ただ、同僚が知らないのなら、世間一般はもっと知らないはずで、そこに戸惑いを感じた。「養廉銀」という用語がポピュラーでない、あるいはそうネーミングする事情が知られないのは、不都合に思うからである。
「反腐敗」を叫ぶが…
現代の中国・習近平政権は発足当初から、反腐敗キャンペーンを励行している。「反腐敗」はいまや、習近平国家主席の代名詞にすらなりつつある、といって過言ではない。習近平政権が発足した中国共産党第18回党大会のあった5年前は、いわゆる「薄煕来事件」など、問題が明るみに出た時期でもあった。要路が抱いた危機感が、以後いまも続く反腐敗キャンペーンを牽引しているともいえる。
しかし効果は上がっているのか。どうもそんな疑問を払拭できないのは、腐敗が生じる制度・システムの問題には手をつけず、汚職の摘発にばかり、心を砕いているかに見えるからである。
往時の「養廉銀」は、汚職の弾圧と抱き合わせて、官僚の低俸給・地方財政の貧困など、制度上の欠陥を是正したものである。それほど周到な改革でも、効果は永続しなかった。いわんや制度改革をともなわぬ反腐敗では、ただの権力闘争に堕しかねない。
第19回党大会を控える中国共産党。現政権の反腐敗キャンペーンは、そうした時機にあたって何を意味するのか。「養廉銀」とそれにまつわる300年近く前の史実は、いまの中国政治の行く末を占うにも、有効な参照軸となるはず。それを専門家の独占にしているのは、いささかもったいない、と思う次第である。






















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