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日本人の隣国への見方は正しいか 相変わらずの「崩壊」する中国?

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隣人の不幸は蜜の味、隣国が弱れば好都合。これは悲しいかな、人間社会・国際関係の道理なので、そう感じることに何ら不思議はない。

しかし日本で異様なのは、そんな言論がたちまち、それ一色に染まったかのような空気になることである。中国で昨年、経済の減速が明らかになるや、「崩壊」という文字が巷に満ち溢れた。「中国はいつ崩壊するのか」。新聞・雑誌の記事はもちろん、書物の帯、果ては通勤電車の吊り広告でも、大々的に躍っていたフレーズである。「中国の崩壊」には、それだけの需要があったと考えるほかない。

戦前戦後も同じ風景

そんな光景に昔を重ね合わせてしまうのは、歴史屋の習癖なのだろうか。日本人が日中戦争前、中国人を見ると「チャンコロ」「チャンチャン坊主」といって侮蔑的なまなざしを向け、戦時中には「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」ととなえていたのと、一脈通じる風景である。

「崩壊」も「侮蔑」も、身近にあって悪い面もよく見える隣国であれば、大なり小なり付きまとう観察・感情かもしれない。だからよく見て、わかった上でそう言うのなら、まだしも、である。

しかし少なくとも、戦前・戦中の「侮蔑」は違っていた。日本がけっきょく戦争に敗れたのが、何よりの証左だろう。

それなら、現代日本の場合はどうか。「崩壊」「崩壊」と言いつづけても、なかなか崩壊しない。そのうちいつの間にか、「崩壊」の文字は世間から消え去って、ほとんど目にしなくなった。

だとすれば、「中国の崩壊」とは、現実をとらえたというより、半ば予想、半ば願望である。しかもよく事情を知らない人まで附和雷同、またマスコミがそれを少なからず煽っているところも、戦前の情景と変わらない。情況が変わるや、あっさり言説を転換したのも、敗戦当時と酷似する。いささか不気味に思うのは、筆者だけではあるまい。

しかり。時代が移っても、日本人の中国観、ひいては精神構造は、どうも変化、成長していない。何よりあまりに粗雑な単純化である。「崩壊」すべきだった「中国」とは、そう表現するように単一のものなのだろうか。

その政府なのか、経済・社会なのか。前者の場合は、共産党政権のことなのか、それとも政府機構すべてなのか。両者は必ずしも同一物でないのは明らかである。

また中国の「経済」だとしても、「地下経済」が存在し、とほうもない格差も、まだまだ解消されていない。その多元構造はみな知るところだろう。

日本人の安易な中国観

たしか以前は、「中国バブルの崩壊」と言っていたはず。それがいつしか「中国経済の」になり、「中国の」そのものにエスカレートした。それぞれがたやすく同義で通じる日本人の通念が気に懸かる。

日本ならそれでまとまったイメージがあるかもしれない。「日本」といえば、日本政府・日本経済・日本人、ほとんどすべてを含むだろう。しかし中国は「中国」と言って一くくりにできる存在では、到底ありえない。彼我の国家体制・経済制度・社会構造がまるで違うのである。

それを「中国」と一語で論じてしまうところに、日本人一般の安易な中国観がある。これだけ政治的・経済的・社会的に中国との関係が深まった今日、こうした安直な観察は、誤解・失敗のもとになりかねない。とりかえしのつかない蹉跌(さてつ)をきたす前に、自らのまなざしを点検してみる必要があろう。

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